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5月12日 巻坂長編その2UP。
~やっと、ひとくち~

(小野田坂道)



「んじゃ、2~3時間で戻れると思うから留守番頼むぜ」


「ハイ、わかりました」


ブーツの紐を結ぶ背中に僕は見えないだろうけど頷いて返事をした。
これから巻島さんは足りなくなった食品の買出しに出掛けるところ、
でも今日、僕はとある理由から同行を許されない、けれどそれも仕方のないことだった。


「なんだかスイマセン、一人で買出しって絶対大変なのに…;
あの、本当に大丈夫ですか、巻島さん」

「平気だって、病み上がりのお前を連れてく方がよっぽど心配だヨ
坂道はのんびり待ってりゃそれで良い、掃除とか洗濯とかもしなくてイイから、いいな?」


しっかりとブーツを履き終え、立ち上がった巻島さんは振り返り僕の顔にじっと視線を合わせる。
いつもは緩やかな目元が少しだけ強く意思を伝えようとしているのか眼差しに鋭さを感じる。
心配してくれている事は充分に分かっているけど、やっぱり申しわけないと思う気持ちも僕の心には居座っていた。


「んじゃ行ってくるショ」

「はい、いってらっしゃーい」


行ってきますの言葉と一緒に後ろ手を振りながら巻島さんは足早に玄関を出ていき、
その隙間から廊下の風景が一瞬見えるか否かの後、ガチャリと音を立てて扉が閉まる。
僕は暫くの間、出ていった玄関を見つめていたけど気分を切り替える為に深呼吸を一つして部屋へと戻ることにした。


そういえばイギリスに来てから一人になるのって初めてだ。
本来の予定でエキスポを回っていたなら、これが滞在期間中の日常風景になっていただろうけど
巻島さんとの共同生活になれてしまった僕にはひどく寂しい風景に映って仕方無い。
本当ならば今日も一緒に買出しに出ていたハズだったんだけどなぁ…


「なんで熱が出たんだろ…どこも具合悪かったわけじゃ無いのにな…//;」


リビングを通り過ぎ、シーツメイキングされたベッドルームへとやってくると
カーテンの開けられた窓から夏の日差しが差し込んでいた。
ベッドの端に座り、何をするわけもなく足を伸ばしてそのままベッドへと身体を預け
天井にあるルームランプを見つめながら僕は昨日の事を思い返していた。


『坂道、お前その顔色…;?』


大学から帰宅して部屋に到着した僕と巻島さんが
今日の晩ご飯は何にしようかとかそんな会話をしていた時、
視線の合った巻島さんの表情が少し考えたものに変わって近付いてきた。
心当たりの無い僕は何かしてしまったのかと不安になったけれど
スッと伸ばされた手が額に当てられ、突然の事に身体が固まってしまったのはよく覚えている。
繰り返し大丈夫と言っても巻島さんには聞き入れてもらえず、一瞬にして身体を抱えられてベッドルームへ。


男の人に抱きかかえられるなんて思ってもみなかったし、しかのその相手は巻島さん…びっくりして心臓が止まるかと思った。
それにしても体重が軽すぎると苦笑いされながらシーツを掛けてくれて
兎に角安静にしてろと頭を撫でられた手がなんだかとても気持ち良かったなぁ…。
この感覚がフワフワしているようにも思える身体の感覚もきっと泣いた後だからだと思っていたから
熱があると言われてもいまいちピンとこなかったんだ。
何か作ってくると部屋を出ていった背中を横になった視線のまま見送った後、僕は目を閉じた。


今日は色々あったけど、なんだかとても安心した思いがする…。
巻島さんから語られた真実といってら大袈裟かもしれないけれど
ずっと一人で考えていた不安が晴れて、気持ちも新たに生まれ変わったようにも感じる。
初めて人に話したって言ってたし、特別って思っていいのかな…そうだったら嬉しいな。

一人で思い返しているうちに瞑っている視界が揺れ出して
微かに聴こえるキッチンからの音を耳にするうちに意識はそのままゆっくりと眠りに落ちていった。
次に気が付いたときには辺は薄暗くなっていて電気も付いていないし静か…だいぶ眠っていたらしい。


今、何時くらいなのかな…と、寝起きで霞む視界に目を凝らすと、ぼんやり隣に誰かが居る気配がする。
手探りで眼鏡を探したけれど見つからなくて、それならばとゆっくり近付いて見ると
ベッドに寄りかかりながら眠る巻島さんの寝顔が視界いっぱいに映ったんだ。


(寝てる…巻島さんの寝顔見るの初めてだ…)


僕は一度眠ってしまうと熟睡してしまうらしくて朝まで起きないから
こうやって誰かの寝顔を見ることなんて先ず無いことだった。
こんなに近くで毎晩一緒に寝ていたんだ…そう考えると変にドキドキしてくる。

起こさないようにゆっくりと手を伸ばして身体に触れてみると
手を繋いでくれる時と同じように確かに手に伝わる体温がそこにはあった。
熱のある僕に遠慮してベッドにも入らずに、ずっと様子を診ていてくれたに違いない、
夢じゃないんだ…それがどうしようもなく嬉しくて仕方がない。

(ありがとうございます…巻島さん…//)


夢の中にいる相手には聞こえないものだけど
数センチの間にある確かな気持ちを小さく呟いた僕は
この幸せな光景を忘れないうちに夢の続きを見ようと思い、またゆっくりと目を閉じたんだ。


……………………


「風、気持ちいいなぁ~…//」

逆さまになった世界の中で僕が今朝の幸せな余韻に浸っていると
爽やかな風が室内に吹き込み、カーテンの裾を揺らしているのが見えた。
雨も多いけれど、イギリスの夏って日本より涼しくて過ごしやすい。
巻島さんが帰ってくるまでまだまだ時間は有るけど何をしようかな…?
気持ちがいいし、このまま休んでいるのもいいかもしれない。
背伸びついでにゴロリと体勢を変えは僕は呑気にそんな事を思いつつ
ふっと何気なしに視線を壁に向けると、そこにはカレンダーが掛けてあった。

今日が7月6日だからあと2日で日本に帰るんだ…なんだか全然実感ないや…。
残り日数を目の当たりにして、やや寂しい気持ちが影をみせ始めたけれど
それも直ぐに吹き飛ぶ事実に僕は気が付いた。


「そうだ…こんな事している場合じゃ無かったんだっ!」


壁に掛けられたカレンダーにすっかりと現実に引き戻され、急いでベッドから跳ね起きると
自分の荷物へと駆け寄り中からノートとペンを取り出してテーブルへと向かった。
キッチンにある卓上の時計を見れば、まだ巻島さんが出掛けて30分も経っていない、大丈夫、充分時間はある。
楽しい毎日に隠れていたけれど、この旅は幸運にもあるイベントと重なっていて、
それは絶対に叶わないと思っていた出来事を実現させるチャンス。
ノートの白いページを開き、僕は計画を形にするべくペンを走らせ始めたのだった。

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