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5月12日 巻坂長編その2UP。
(小野田坂道)
シャァァアアーー……ーー……
曇る視界の中で顔に当たって流れ落ちるのはお湯の温かさ。
巻島さんは旧式タイプだと不満げに言っていたけれど僕には全然不便は無かった。
シャワー音の中で排水溝へと流れていく透明なお湯を見つめながら僕は大きく溜息をついた。
こうして、このお風呂を使うのも今日が最後か…そう思うと寂しい気もするけれど
上がれば楽しい時間が待っているんだ…これで考えつく限りの思い残す事は無い。
キュゥ…ッ キュゥ…ッ
音を立てながらしっかりとシャワーバルブを閉じて目の前にある鏡に真向かった。
湯気で曇っている上に視力の悪い僕にはとってもぼやけて写って見えるけれど
きっと表情はワクワクしているに違いない、だって心がこんなにドキドキしているんだから//
用意しておいたタオルを頭から被って適度に荒く拭き上げながら僕は内容を考え始めた。
「何を話そうかなぁ…//」
したいこと、と言われて一番最初に浮かんだのはね眠るまで巻島さんと話をすることだった。
修学旅行や合宿ならさて置いて、友達の家に外泊する機会なんて僕には今までなかったから
眠るギリギリ前まで誰かと一緒にいて話をするというのが僕の小さな夢でもあったからだ。
携帯とかでは味わえない和気藹々とした雰囲気の中、なんでも無い話に笑って、聞いて、
いつの間にか寝ている…それってなんだが特別な事をしている気分だ。
しかも相手が巻島さんなのだから、いっそう楽しみも膨らむ…今日ばかりは眠くならないように気を付けなくちゃ//;
パジャマ変わりのTシャツにジャージに着替えてバスルームから出ると、
直ぐ目の前のダイニングで巻島さんが雑誌を読んでいる姿が目に映った。
「お風呂、先に使わせていただきありがとうございました…//」
「おかえり……飲み物入れといたから適当に飲んで待っててくれ。」
早々に足音で気が付いたらしく、顔を上げて緩く微笑む巻島さんに頷いて僕は席に着いた。
テーブルには滞在中ずっと使っていたマグカップと小さな小皿、中には角砂糖が数個添えられていた。
「ホットミルクだ…いただきます…//」
両手で持って口を付けると程よく熱のとれた甘いミルクが口の中いっぱいに広がり、自然とホッとする溜息が漏れる。
その様子を眺めていた巻島さんはクスっと小さく笑って雑誌を閉じると席を立ってバスルームへと向かっていった。
巻島さんの姿が無くなったダイニングは静かで、遠くで車の走る音がよく聞こえる。
近い音といえば巻島さんが入っていったバスルームのシャワー音くらい、あ、こんなにハッキリ聞こえるんだ…。
初めて来た日は物珍しかった部屋の光景も今やすっかりと馴染んで、此処にずっと住んでいるようにさえ思える。
これは立派な二人暮らしだったんだって今更過ぎる事実が頭に浮かび、くすぐったく頬が少し突っ張る感じがした。
「明日には帰るんだよね…当たり前なんだけど、なんだかヘンな感じがする…」
マグカップに添えた手に視線を向けながら独り言を呟くと、続いたのは溜息。
本当に楽しかった数日間も後少しで終わってしまう、明日の今頃には僕は日本、巻島さんは変わらずにイギリス。
気軽に会いに来れる筈もない途方もない距離は考えるだけ寂しさを呼び込むんだ。
お風呂で温まった身体に走る身震いに息を詰まらせながら僕は腕を枕にテーブルへと顔を伏せた。
僕の思いが伝わった今夜、巻島さんの気持ちを知ることが出来た今夜は忘れられない日になったのは間違いない。
でも、やっぱり寂し気持ちが消えるわけでは無かった。
「どーしたショ、気分でも悪いのか」
ポンと肩に置かれた手の感覚と頭上から聴こえる声に顔を向けると
首にタオルを掛けたお風呂上がりの巻島さんが立っていた。
「大丈夫です…なんだかボーッとしちゃって…//;」
ゆっくりと身体を起こしながら答える僕の顔を
巻島さんはほんの少しの間だけ眺めて、そしてふっと鼻で軽く笑ってみせた。
「そんな顔スんな…今晩はまだ一緒にいられる。
その時間を存分に満喫する他に選択肢は無いショ」
お見通しなんですね、やっぱり巻島さんだ。
肩から頭に置き換わった手の位置はいつも僕に安心をくれる温かいもの。
僕ってこんなに頭撫でられるの好きだったんだなと思いながら席を立った。
「ハイ…まだ僕は巻島さんと一緒にいられる時間が残ってるんですよね…//」
僕の返事に満足そうに笑んでみせた巻島さんは先にベッドルームへと足を向けたので
残ったミルクを飲み干してシンクへ置き、僕も背中を追いかけた。
そこは既にサイドランプと天井の照明が眠りを誘うよう暗めに落とされていて、
メイキングされたベッドがぼんやりと浮き上がるように姿を映し出していた。
大丈夫、まだ眠くない…自分に呪文を唱えて掛け布団を捲りベッドへと身体を滑り込ませると
隣に背を向けて座る巻島さんの姿、シャワーで濡れて乾ききっていない髪色が暗色の空間に良く映えていた。
「巻島さんは眠い…ですか?」
「いや、全然…つか、なんか寝られないみたいショ…//」
「僕も同じです…//」
背中から斜めに視線だけを向けながら声は言葉通り嬉しそうに聞こえた。
カチカチと携帯を操作する音が聞こえ、やがてパタンと軽く閉じる音と共に
僕へ振り返り、巻島さんも肘枕で横になってみせた。
「その割には余裕ってカンジがするが…?」
「え、いえ全然ですっ…、僕友達の家にとかも泊まりに行ったこと無くて
家族以外の誰かと夜を過ごすって経験もあんまり…。
だから今夜、こうして巻島さんと眠る前までお話出来る事が緊張するけどワクワクもします。
修学旅行とかってこんな感じなのかな~って…//」
多分、高校二年になって外泊も無いって今時珍しいとでも思われたんじゃないかな。
両肘をついて身体を起こしながら視線は尚も巻島さんに向けたままでいると
正直に答えた僕を見て、巻島さんは意外だって言いたげな苦笑いを浮かべつつ頬を掻いた。
「あぁ…まぁ、仲のいい連中と一緒の部屋になれば
そういう事にもなるだろうが俺は寝てたッショ、周りがスッゲー五月蝿かったがな…//;」
「そうなんですか?確かに巻島さんが騒ぐイメージってあんまり無いかも知れません」
「正直苦手、部活以外一人でいる方が気楽だったのはあったな…田所っちはよく絡んで来たケド。」
「田所さんらしいですね…//」
鳴子君と田所さんのやり取りを知っているから話を想像すると光景は目に浮かぶようだった。
すごく楽しそうだ、きっと一方的に賑やかなんだろうなと僕は笑って答えると
空いた巻島さんの片腕が伸びて、僕を身近に引き寄せてみせた。
「でも、どうやらそれはこれから変わりそうな予感がするショ…
一人が気楽で自由で良いとか思ってたのがウソみたいだ、お前ってホント凄いヤツだよ、坂道」
優しい締め付けに僕だけに語りかける巻島さんの声が胸いっぱいに広がっていくのが分かる。
告白してもらった時より穏やかに、そしてよりリアルに伝わる幸福感。
埋まるはずのない遠くて憧れてた存在に抱きしめらているんだって実感が漸く湧き始めてきたんだ。
「僕は何も…ただ巻島さんと一緒にいたくて、それだけで…
それは今こうして叶ってます…ありがとうございます、巻島さん…//」
少しだけ上向いた僕の視界先には色白い巻島さんの頬が見えた。
徐々に視線を上げていくと閉じた瞳には男の人にしたら長い睫毛が影を落としていて、
緩く笑みを浮かべた口元がゆっくりと動き始めた。
「オイオイ、お礼言うのはヘンだろ…俺達、今日から付き合ってンだから…//;」
そうは言われても『ありがとう』の言葉以外が僕には思いつかない。
もっと気軽にしていいって巻島さんは言うけれど、僕自身がいきなりは無理だと分っていた。
それじゃ他にどんな伝え方をすればいいのかな…言葉じゃなく、身体を抱き寄せるでも無くて…。
どうにかしてこの気持ちを伝えたいと悩む僕の頭に一つ、今なら出来るかもと思い浮かんだ事があった。
グっと身を伸ばして唇へと触れるぐらいのキスをするとびっくりしたように目を開き、表情の固まった巻島さんと目が合った。
「これでどうでしょう…恥ずかしいですけど言葉より伝わるかなっ…て…//」
きっと僕の顔は赤くなってるに違いない、頬っぺたがムズムズするし耳が突っ張るような感覚もある。
でもそれは巻島さんも同じみたいで、口元を押さえながら照れくさそうに視線を外してみせた。
「お前……~っ……//;」
「ぇっ…あ、あのゴメンナサイ…!!ちょっと調子に乗っちゃったかも知れませんよね…スイマセン…//;」
ついいつもの癖で謝ってしまったけれど、なんだか巻島さんの様子がおかしい気がする。
二、三度指で頬を掻いて深々とした息を吐いてチラリ…と、僕と視線を合わせた口が
ボソリ、と何か小さく呟いたのが微かに聞こえたんだ。
「今のは坂道が悪いショ」
「…ぇ、えっ…え//;?」
言葉の意味を聞き返す間も無く、鮮やかな緑色が僕の視界を被っていく。
寄せられた身体は位置を変え、いつの間にか僕を見下ろす巻島さんの表情が
少しだけ、ほんの少しだけ僕には怖く思えたんだ。
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