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5月12日 巻坂長編その2UP。
バレンタインデー、それは女の子が男の子にチョコレートを渡して想いを伝える日。しかし最近では、女の子同士でチョコを交換する友チョコとか、男性が女性にチョコを渡す逆チョコというものも少なくない。男性でも女性でも、日頃お世話になっている人に感謝の意を込めて贈り物をする、ようするに自分の気持ちを伝える特別な日なのだ。
【Magical kiss】
(小野田 坂道 編)
「忘れ物は無い、かな…?」
壁に貼られたラブ☆ひめの主人公である姫野小鳥の特大ポスターを見つめながら、ボクは今朝から何度目かになる確認を行っていた。今日の日を数えて早二週間、昨夜はドキドキしてなかなか寝付けなかったのに今朝はとてもスッキリと起きられたんだ。昨日の夜、寝る前に準備したスポーツバックは傍らで今か今かと連れ出されるのを待っているみたいで、早く出かけようと言葉無く催促しているみたいにじっと床に座り込んでいる。そうだね、そろそろ出かけないと間に合わなかったら元も子もなくなってしまう、ベッド横の時計を見ると時間はもうすぐ11時になろうとしていた。
「よしっ!!」
息と声を一緒に吐き出してショルダーバックの肩紐をしっかりと掴んで肩にかけ、自室のドアノブをひねり開けた。踊りだしそうな思いの足取りでそのまま直ぐに急な階段を軽快に駆け下り、まっすぐ玄関へと向かうと、小音を聞きつけたらしいスリッパ音が台所から駆けてきた。
「あら坂道、もう出かけるの?随分と早いわね」
「うん、すれ違っちゃったら相手に申し訳ないし、ボクが待っているのは全然平気だから」
玄関で靴ひもを結びながら背後にいる母さんに答えると、多分洗い物中だったのかな?ゴシゴシと布の擦れる音が微かに耳に聴こえる。結び終えた靴ひもと靴の具合を確認して振り返ると、そこにはいつもの柔らかい母さんの笑顔があった。
「お宅にお邪魔するんだから失礼の無いようにね」
「大丈夫だよ母さん、渡したいものがあるだけだから多分遅くはならないよ」
「そう、それじゃ気をつけていってらっしゃい。もし遅くなりそうだったり何かあったら必ず連絡よこす事、忘れないでね」
「うん、わかってる。それじゃ、行ってきます!」
事前に今日のことは母さんに話しておいたから今更詳しく行き先を説明する必要もなく、気をつけてねとの優しい声に笑顔で答えながらボクは玄関を出て庭に向かって歩きだした。歩いていくことも考えたけれど今日はとても気持ちの良い晴天、今朝起きた時にやっぱり自転車で行こうと先に準備しておいたんだ。ヘルメットとグローブを装着してBMCに跨り地面を蹴れば、ゆっくりと視界は一定の高さで動き始める。家の敷地から大通りに出て、教えられた地図を頭に描きながら安全運転を心がけたハンドル操作で見慣れた近所の景色から離れ始めると、期待と一緒にいっそうの緊張が湧き上がってきた、いつもより足が軽く思えるのは気のせいなんかじゃない。そう、今日ボクはサプライズで巻島さんに会いにいくんだ。
「っ…~まだ少し寒いなぁ~…」
巻島さんがお兄さんの住むイギリスへと渡英してからも、ボクは何があってもなくても、なんてことはない日常の出来事を手紙に綴り、いろんな報告をしてきた。と、いっても最初は住所が分からずに出せない手紙の束が重なっていくだけだったところに、手嶋さんが巻島さんの住所を教えてくれたんだ。返事は返ってこなくてもボクの自己満足的なところもあったし送り返されてこないと言うことは、おそらく巻島さんの手元には届いている、それだけで充分だった。それがちょうど一月の終わり頃のこと。次は何を書こうかな…と、ぼんやり内容を思い立てながら家に帰宅すると、母さんがボクに手紙が来ていると一通渡されたんだ。達筆な英字で書かれた手紙を見た時は、頭の上に沢山のクエスチョンマークが浮かびもしたけれど宛名は確かにボク宛だし…と、思い当たる節をつなぎ合わせた結果、もしかして…もしかするのかも!!と、結論に達した瞬間、嬉しさと逸る気持ちに両手が震えて止まらなかった。
【 2月10日から1週間くらい日本に帰る 部活も覗きに行きたいから日程教えてくれ。巻島裕介】
開封して急いで丁寧に目を通すと、3行に纏められた文章を何度も読み直しながら、巻島さん日本に帰ってくるんだ!部活の様子見に来てくれるみたいだし急いで返事書かないと!!嬉しさと焦りに一人部屋で騒がしくしていると、突然と机に置いた携帯電話が大きく着信音を響かせた。慌てて携帯電話を手にしてディスプレイをみれば、そこには番号を教えてもらってから数回しか表示されていない『巻島さん』の文字を見た時といったらどんなに驚いたことか。あまりの出来事に暫く電話を鳴らしっぱなしにしてしまったけれど、出なきゃ当然切れてしまうしそれは嫌だし失礼だ。一度目視しして通話ボタンを確認して押し、恐る恐るもしもしと声をかけると懐かしい声が応答を返してくれた。
『いま忙しかったか?都合悪いなら後でかけ直すショ』
とんでもない!!全然ボクは大丈夫ですっ!スイマセン! と、見えもしないのに全身でオーバーアクションをとりながら大声で答えると暫くの間、巻島さんからの反応はなかなか返ってこなかった。きっと煩かったんだ…不安に思う中でじっとよく受話器向こうの音に耳を立ててみると含んだような、何かを我慢しているような小さな小さな笑い声がほんの微かに耳に拾われ聞こえた。もう一度声をかけてみても大丈夫かな…。様子を伺っていたボクがひと唾飲み込んで最初の文字を音にして発しようかとした時、巻島さんが一度の咳払いをして電話口に戻ってきてくれた。
『少し落ち着くショ坂道、突然電話したオレも悪かったケドな』
幾分か耐性が生まれ始めたボクは、今度は心を落ち着けながら、嬉しくてどうやって電話に出たらいいかわからなくなってしまったと答えると今度は巻島さん独特のクハッという笑い声がハッキリと聴こえ、それにつられるようにボクも口元を緩ませて笑い声を零した。お手紙ありがとうございます、今から返事を書こうと思ってたんですと追答するボクに、実はその事で電話をしたと巻島さんは理由を話し始めたんだ。
『今日手紙届いたんだよな、つか、だいたい今日あたりかと目星付けたんだがやっぱり手紙じゃ間に合わないショ』
話では、日本とイギリスの間での郵送期間は約5日間。今日が二月の始めだからボクが返事を書いて明日投函したとしても巻島さんがイギリスを出発する時にはもしかしたら間に合わない可能性があるのだそう。突然部室に行っても特別構わないのだけれどどのくらいボク達が成長したか見てみたいという考えがあるのが一つ。二つ目は全く初対面の一年生と会って不審者扱いされる可能性を避けたいというものだった。勿論ボクだってすれ違いは嫌だし、巻島さんには会いたい。急いでカバンの中から予定表を取り出して平日はいつも通り部活、土日は自主連であることを伝えると受話器の先で二三度擦れる音の後、OKだという了解の返事が返ってきた。
『サンキュー坂道。…クハッ、にしてもこれじゃ手紙の意味がなくなっちまうショ』
確かにそうですね。と、ボクは笑って答えたけれど初めて巻島さんから届いた手紙を手にしながら耳元で聴こえる懐かしく大好きな声に胸がいっぱいでたまらなかった。手紙は確かに届いていたんだ、こんなに離れていても繋がっている『何か』に胸が高鳴って仕方がないし、考えれば苦しくもあり楽しみにもなる。そんな自分の気持ちと重ね合わせながら想いを馳せずにはいられなかった。
電話があってから日にちはあっという間に過ぎてゆき、今日は巻島さんが帰国したであろう10日から4日過ぎた2月14日、世間はバレンタインデー。部活の様子を見に来ると言っていたけれど、いまだ平日の放課後にそれらしいカッコイイ姿は見かけられていないし、巻島さんにも都合と時間があるんだ。今日は土日で部活も休みだし、日本に帰ってきているのを知っているんだからフライングになってしまうんだけど会いに行ってみよう。偶然にも重なったバレンタインデーを口実に、一年生の時沢山お世話になった気持ちを込めて、安物だけれどチョコレートも用意した。少しだけでも顔が見られればいいな、連絡しないで押しかけるから確率は半分かそれ以下だけどじっとしてはいられない。交差点に差し掛かったタイミングで握ったハンドルの具合を確かめつつ、鼻から一度大きく息を吸い、胸を膨らませた空気をゆっくりと口から吐き出すと高鳴る鼓動が少しだけ落ち着いたように思えた。先程に比べて肌に感じる風も冷たさから心地よさに変わったし、この交差点を過ぎればもう巻島さんの家は目前だ。信号が青に変わり、再び前を向いてペダルを漕ぎ出し、大通りから比較的大きな路地に入ればそこは閑静な住宅街に変わる。その中でも一際大きく立派な豪邸の2階が視界に確認できたので、ボクは自転車を下りて押しながら家の前で歩くことにした。前に一度、一年のIH前にみんなでお邪魔したことはあったけど、近づけば近づくほどやっぱり今見ても門構えから圧倒される大きさだ…。
「……よしっ」
誰にも聞こえない程小さな声で気合を入れ、心の準備は整った。自転車を路肩にしっかりと留めた事を確認してゆっくりと目の前のインターホンに指を当ててしっかりとベルを一度だけ鳴らしてみせた。ここまで来ちゃって誰かいることしか考えてなかったけれど、もしかしたら全員留守の可能性もあったじゃないか。どうしよう…その時は3回鳴らして応答がなければ帰ることにしよう、ここにずっといて巻島さんに迷惑がかかるのは嫌だ。すると数秒後、ボクの心配を打ち砕くかのようなランプの点滅、次にはマイク越しの篭った声が耳に聞こえてきた。
『ハイ、…どちら様?』
「わっ!!へっ…あっ;」
自分でベルを鳴らしたくせに声が返ってきた事に思わずビックリしてへんな言葉を発してしまった。応答に出てくれたその声は若い男性っぽく、マイクを通して聴く限り巻島さんの声に似ているように思える。でも巻島さんならどちら様とは聞かない…と…思うんだけど…でもここで弱気になってどうするんだ小野田坂道!!せっかく此処まで来て、応答に出てくれたんだからしっかり伝えないと意味がないじゃないか。
「あっ、あの、そのボクっ、総北高校自転車競技部で巻島さんにお世話になってます小野田坂道と申しますっ!!ほ、本日は天気も良く…って、違う…あっ、あの巻島さんはいらっしゃいますでございましょうかっ…!!」
『ソウホク…オノダ?…あぁ、キミは高校の後輩なのか』
「ヒャッ…はっ、そう、ですっ!!」
それはもう必死に、どうにか要件を切り出してみせたけど噛み噛みでバラバラで果たして伝わるかは怪しいものだった。緊張で張り裂けそうな胸は痛いくらい大きく跳ねていて、今にも心臓が飛び出すような鼓動を打ち鳴らしっぱなし。すると突然ガチャリとマイクが切れる音がしたかと思うと、目の前の外門がいつか見たように自動でゆっくりと開かれていき、もう一度マイクのスイッチが一方的に入って『中にどうぞ』の一言を残して切れてしまった。慌てて路肩に留めておいた自転車を手に広々とした門を潜り、これまた大きな庭の真ん中を通す道に従い歩くと行き着く先は正面玄関の扉。ハンドルを握る手の震えを抑えるように強く力を入れて、ようやく目の前までやってくると同タイミングで両扉の片側だけがそっと音を立てて開き、中から背の高い人影が姿を見せた…その時のボクの驚きようと言ったら無かったと思う。
ガチャリッ…ギィー…。
「あっ、あれっ、まきしま、さ…ん;?」
扉の先から現れた顔を見た瞬間、ボクの頭上をクエスチョンマークが四方八方に飛び出し、そのままじっと目の前の人物から目が離せなくなってしまった。色白の顔立ちに細い目元、顔のパーツ一つ一つが一見すると巻島さんその人、けれど髪は随分短いし緑じゃない。そしてただ立っているだけなのに雰囲気が巻島さんより大人っぽく思えるという不思議な違和感に襲われたんだ。
「あっ、えっと…巻島さん、では無いのでしょう…か;?」
「キミ面白いこと言うね、オレも一応巻島なんだケド」
「あわわわス、スミマセンっ!!」
クスリと笑みを見せながら答える姿に大慌ててボクは頭を下げて謝ると、今度は笑い声が頭の上から響いて聞こえ、顔を上げるように言葉が続いた。恐る恐る下から姿を拝見しつつ見上げていくと、長い手足に日本人離れした柄物の服がとてもよく似合うモデルのような体型であることも判った。そして再び視線は目の前の顔に戻り、緩く口元で笑みを浮かべながらボクを見るもう一人の正体も、なんとなく分かり始めてきていた。
「裕介なら直に帰って来るから中で待ってれば?」
「あっ、ありがとうございますっ…!!あの、もしかして巻島さんは、巻島さんの…」
「…坂道!?なにしてるショ、こんなトコで!」
隅々まで姿を確認しながら一つたどり着いた考えを口にしようとした時、今度は背中から唐突にボクの名前を呼ぶ声が耳に響き聞こえたので声のする方向に勢いよく振り返ると、そこにはボクの記憶の中にある玉虫色の長い髪に、カッコ良くニットを着こなす巻島さんが早足でこちらに向かって歩いてくる姿があるではないか。あっという間に玄関までやってきた巻島さんは少しだけ切らせた息を調えながらボクの顔を確認した後、もう一人の巻島さんに視線を移した。
「兄貴も何やってるショ…滅多にベルなんか出ないクセに今日に限って…;」
「たまたま1階に居たダケだけど。そしたらベルが鳴ったんでカメラ覗いたら緊張した男の子が立ってるんだぞ、裕介だって普通に何事かと思うだろ。この子だろ、マメに手紙を送っているオノダ君は」
「なっ、なんで兄貴がそんな事知ってるショ!!;」
「名前は本人が教えてくれた、後は内緒」
慌てた声を上げる巻島さんに対し、思った通りやはりお兄さんだったもう一人の巻島さんは、全然余裕といった表情で言うと、徐に右の手の平を巻島さんに差し出した。
「それより取ってきてくれたのか?」
「あぁ、あったショ。レストランに忘れもので届いてたって」
そう答えた巻島さんは差し出された右手に細身の、パッと見でも充分にインパクトのある紫色のサングラスを渡すと
お兄さんは頷いて扉を先程より大きく開きながら一足早く家の中へと足を進めていった。自然と視線で追いかけていくと随分前に一度お邪魔したときの記憶が朧げながら蘇ってきたけれど、それでもこんなに広かっただろうかと呆気にとられてしまうレベルだった。
「それじゃ忘れ物と本人が帰ってきたからオレは失礼するぞ、後はご自由に…またなオノダ君」
「はっ、ハイ、色々ありがとうございました//」
先に消え行く巻島さんのお兄さんの背中にお礼を言うと、何故か隣で大きなため息が溢れるのが聞こえてきた。見上げると、その表情にすっかり疲れを浮かべた巻島さんが腰に手を当て、ボクと同じようにもう姿を消したお兄さんの後を視線で追っているらしかった。あの人が巻島さんのお兄さんだったのか…さっきチラッと見えた紫色のサングラス凄かった…でも巻島さんと同じように優しそうな感じの人だったなぁ…//服装も体型もモデルさんみたいだったし、数年先の巻島さんを見ているようだといえば伝わりやすいかもしれない。
「珍しい…」
「あ、あの…巻島さん?」
「ん?…あぁ悪い、あんまり意外なことが起きたからなんかドっと疲れがな…;」
ボソリと本音を漏らした巻島さんを見上げると、白い顔色に疲れを浮かべた顔でぼーっと玄関より先を見つめていた。
そういえばボクが来てお兄さんと話している時、巻島さんはどこかに出かけていたようだし、日本に帰ってきたからといって休暇というわけではないのかもしれない。自分の会いたいという思い一方で、相手の都合を考えていなかった事に申し訳なさを思いつつも声をかけると、さっきより少しだけ解れた表情になった巻島さんは耳に久しぶりに聞く独特の笑い声を返してくれた。
「クッハ!!…ところでどうしたんだ、休日にわざわざオレん家を訪ねて来たんだか何か理由があるんだろ?」
「あっ、あのハイそうなんです!!実は今日…」
巻島さんの質問に当初の目的を思い出したボクは、ショルダーバッグから例の、用意してきたチョコレートの箱を取り出そうとガサゴソとやり始めた。今日の準備で一番最初に用意したチョコレートは落とさないようにと一番底に大切に仕舞い込んでいたので取り出しに時間がかかってしまい、漸く黒に赤いリボンをかけたの箱の一辺に手が触れたのを確認して顔を上げると、そこには巻島さんの姿は無かった。あれっ…さっきまで目の前に居たのに…と、視線で辺りを追いかけていくと既に玄関に腰を下ろしてブーツを脱いでいる姿を発見した。
「いつまでソコに居るっショ、さっさと入って来いよ」
「ええっ、あの良いんですか?お宅にお邪魔しちゃっても;?」
「悪いとは言わないが遠慮し過ぎショ、玄関先で追い返すなんざしないさ。それにお前なら部屋に上げても無闇にあちこち触ったり汚したりしないだろ」
片方を脱ぎ終わり、もう片方のブーツを半分脱ぎ終えた巻島さんが、表情を柔らかくさせながら話す言葉に招かれるように一度触れた箱から手を放し、恐る恐る敷居を跨いた。先を歩く背中に続いて自分の家の二倍はありそうな廊下を歩き、余裕で二人は並んで通れそうな階段を登り上がると、吹き抜けの白を基調とした広い2階が姿を現した。
「オレの部屋は分かるな?」
「はい、前にお邪魔した部屋のことですよね?」
「そうだ、先に行っててくれるか、なんか適当に飲み物頼んでくるショ」
「わわわっ、そんなお構いなー…くぅー……」
呼び止める声より先に巻島さんは再び階段へと姿を消し、ポツリと二階の入口に一人取り残されたボクは玄関での呆気は優しいものだったんだと思った。以前はみんなで来たからそうは感じなかったけれど、この広さに内装は日本に一人でいるとその広さに押しつぶされそうな感じで心細く落ち着かない。この場で巻島さんを待っていようかとも考えたけれど先に部屋へと言われているし…と、悩むここと少し、覚えのあるドアに向かって足を進めることにした。廊下を歩き、英筆記体のルームプレートの下がる部屋のドアノブを押し開くと、以前の記憶にある部屋が姿を現したんだ。シンプルで必要最小限で纏められた室内は白と青を基調としたクールなデザインでいかにも巻島さんらしい。ロードを掛けるスタンドやタイヤのあったであろう跡、でも残念ながら自転車は無い。イギリスに持っていったと巻島さんは言っていたけれどそれでもあの白いフレームが見えないと心なしか少しだけ寂しく見えるな…。
「何してるショ」
「ひゃっ!!」
すると突然に現れた背後からの声にビックリしてボクはたまらず奇声を上げてしまった。ゆっくりと首だけを動かして後ろを見ると、こちらもビックリしたような表情を固まらせた巻島さんがすぐ後ろに立っているのが見えたんだ。
「はっ、早かったんですね、巻島さん…//;」
「キッチンにお手伝いさんがいたから任せてきたショ。それよりどうしたんだ、なんか部屋にいたのか?」
「いえっ、その…なんだか先に入るのが申し訳なくって…」
「部屋の主がいいって言ってんだ、遠慮するコトないだろ。ほら、さっさと入れ入れ」
急かされるままに踏み止まっていた足を動かして漸くの一歩を踏み込み、ボクは随分時間がかかって漸く部屋へと入ることになった。言うまでも無くもう充分に緊張はしているボクだけれど、部屋にお邪魔するとそれは今までの比では無いものになっていた。くわえてガチャリとドアの閉まる音が追い打ちをかけて背中が緊張で張りっぱなしだ。ダメだ、めちゃくちゃ緊張してきちゃったよ…頭の中での最初の予定では、巻島さんに手渡しでチョコを渡して帰って来るだけだったのに、どうして部屋にまでお邪魔することになってしまったんだろう。勿論すごく嬉しいよ!!けど心臓がいつまで持ってくれるか分からないでもいるのは事実だ。
「坂道」
「ひゃいっ!!」
「…っ、どうしたよそんなにガッチガチに緊張して…クッハ、別にとって食われるワケじゃないしに。」
またびっくりしてしまった。今度は体ごと振り返ると、椅子を片手に引き寄せながら苦笑いでボクを見る巻島さんが見えた。クッションが無くて悪いという巻島さんに首を大きく横に振って、床に腰を下ろすと、もっと楽にしていいと付け加えられたので足を崩すことにした。中身きっと大丈夫だよね…。持ってきたチョコレートの状態を心配しつつ、しっかりと傍らにバッグを引き置きながら向かいの巻島さんへ視線をあげると緩い姿勢でボクを見ていたけど、その口がゆっくりと動き始めた。
「ぁー…びっくりしたっショ?」
「えっ、ハイ……色々びっくりしましたけど、どれでしょう//;?」
「兄貴に」
「えぇ…あぁー…お兄さん、…はい、とっても!」
実際に巻島さんの家に来てからは矢継ぎ早に起こった出来事にボクは順番をつける事が出来ないでいた。それを察知してくれたらしい巻島さんは椅子を逆に跨いだ格好で表情を崩しながら、どうしてお兄さんがいるかの経緯を話して聞かせてくれた。
「お前から手紙貰った時点で帰る日程は決まってたショ、当初オレだけ帰る予定だったんだが急に兄貴も日本に用事があるって事で同行することになってな。別に悪いことじゃないし、家族だし拒否る理由も無かったし…が、昨日になってからか…ホテルに忘れ物したって言い出してソレを取りにオレは今日出かけてたんだ。」
「あ、さっき渡していたサングラス…ですか?」
「そうソレ、帰ってきてからもコッチ(日本)の仕事関係者と打ち合わせに食事会とかに出ててたのにオレも付き合ってたショ。空いた時間作って高校に顔出しにも行きたかったんだが全くスキが無いくらい予定詰められちまってな、気がついたら日曜だったってワケさ。でもまさか、出かけてる間に坂道が家に来てるとは全然想像してなかったショ」
話し終えた巻島さんは、キィーっと一度椅子を鳴らしながら態勢を更に深くして背を丸めてみせ、浅く溜息をついてみせた。思い出しても疲れるスケジュールだったらしく、緩ませた頬を掻きながら話す顔を見つめながらも、良かった…すれ違っちゃってたワケじゃ無かったんだ、とボクは安堵していた。
「そうだったんですか…でも、こうして無事にお会いできましたし、お兄さんにも会えたのでなんだか少し得した気分です!」
「あぁ、兄貴が仕事以外で進んで人と話すのなんてレア中のレアっショ。なんでか知らないが坂道がオレに手紙送ってる事も知ってたし、ヘンにカンが鋭いとこあるんだよなぁ…」
緊張であんまり覚えていないけれど、そういえば巻島さんのお兄さんは意外にもあっさり玄関を開けてくれたように思う。会話も普通だったし、巻島さんが話すほど人見知りにもボクには見えないんだけどなぁ…。先程の事をぼんやり思い出しながら、巻島さんそっくりのお兄さんの顔を思い浮かべていると、また目の前の椅子が音を立てて動きをみせた。
「それでさっきの続きだが、坂道がわざわざ家までくるなんてどうしたショ?」
「あっ、はい!巻島さんに会いたかったのもあったんですが、今日は渡したいものがありまして…」
チャンス再び到来、巻島さんから話を振ってもらえたんだ、渡すタイミングは正に今しかない。傍らで出番を待ち望んでいたカバンを膝に乗せ、中のチョコレートの箱に右の手の平が触れたのを確認し、スッと取り出そうとした。しかし、またしてもあと一歩のところでソレは阻止されてしまった。
コンコンコンッ…
「はい」
部屋の扉を叩くノック音を聞いた巻島さんは席を立ち上がり、ゆっくりとドアへと向かい扉を開くと、手に何かを持って戻ってきた。再びドアの閉まる音の中で、がっくりとしながらカバンから手を引き、何故か正座に戻ってしまったボクの目の前に置かれたのはとっても綺麗なティーカップとティーポット、それに同じ模様の施された小皿。上には綺麗な色のセロファンに包まれた一口大のお菓子が無造作に乗っているのがみえた。ポットを手にとった巻島さんは手馴れた手つきでゆっくりとカップへ中身を注ぐと、透き通った茶色…どちらかといえばオレンジに近い水色の液体が流れ落ちる、と同時に辺りにふわっととても清々しい草原のような香りが湧き出してくるようだった。
「イイ香りですね~…なんだかほんわかする気持ちです//」
「向こう(イギリス)で気に入って飲んでる紅茶ショ、土産に買ってきたのを淹れてくれたのはイイんだが…カップが一つしか無いな。」
巻島さんの言うとおり、トレンチの上にはどうみてもティーセットは一つしかないことはボクの目にも確認できた。相変わらず良い香りと一緒にうっすらと立ち上る白い湯気が揺らめく中で、巻島さんはポットをトレンチの上に置くと自分も椅子から立ち上がってドアの方へと歩き始めた。
「ちょっとキッチン行ってくるショ、先に飲んでて構わないからな」
「そんなっ、ボクが行きますよ巻島さん!」
「クッハハ…お前は今日、客なんだぞ坂道。だいたいオレん家のキッチンに何があるかなんて分かんないショ。それに紅茶には飲むベストな温度があるんだぞ、いい香りって分かったんだから味も美味いの飲んでけよ。ちょうど良く茶菓子もあるし食ってていいから…なに、すぐ戻るショ…//」
笑みを見せながら部屋の外へと出て行く巻島さんの背中を見送って、ボクはまた部屋に一人となってしまった。ボクと同じように一つだけ用意されたティーカップは装飾もとても綺麗だけど、どこか寂しそうで湯気が誘うように立ち上っている。巻島さんの言葉に間違いはないし、せっかくだし先にいただこう。そっとティーカップを手に取り、いかにも高そうだと眺めながら恐る恐る一口をつけると先程よりいっそう、若草の香りと柔らかい口当たりで飲みやすい。普段紅茶なんて飲まないボクでも、これは純粋に美味しいと分かるものだった。
「紅茶ってこんな味がするんだ…//」
巻島さんて普段からこんな美味しいもの飲んでるんだ…今はイギリスに住んでいて、ファッションの勉強をする大学生で、オシャレでカッコイイ。簡単に挙げるだけでも想像を超えるカッコ良さではないだろうか、その全てにドキドキを感じずにはいられない。私生活とかあんまり想像できなかったけれど、今こうしてお家にお邪魔してお茶を頂いているとなんだか不思議な気分でもあるし、同じことをしているという嬉しさもある。一人気分の良くなったボクはティーポット横に置き飾られた茶菓子の中から、グリーンの包み紙を一つ手に取って中身を開いてみた。英語で商品名の書かれた包み紙はキャンディー型に捻られていて、両サイドを引っ張り丁重に包み紙を開いていくと中からあらわれたのは、まん丸球体のチョコレートだった。
「…そういえば、まだボク、チョコ渡せてないんだよね…」
プレゼントは心が込めてあれば大丈夫とは思っていても、こうして偶然にも立派なチョコレートを見てしまうと自信はどうしたってなくなっていってしまう。カバンの中に押し込められてずっと出番を待っているチョコレートがなんだか可哀想になってきた。巻島さん、受け取ってくれるかな…。複雑な思いの中で、摘んだ指先の熱でチョコが緩み始めてきたらしくベタつく感覚を消すため、一口でそのチョコレートを頬張った。そのチョコもとても美味しくて、じんわりと口内で溶け出す味は甘過ぎず、滑らかにゆっくりと形を崩していく。まるで時間の流れさえもゆっくりに感じそう…でも、この味なんだろう…すごく心地いい気分だ…//さっき飲んで美味しかった紅茶と一緒なら、もっと気持ちよくなれそうな気がする…と、本能の赴くままにボクはティーカップにに残っていた紅茶を全て飲み干したんだ。
…………………………………
ガチャリッ…。
「悪い坂道、その紅茶と菓子はどうやら兄貴の……坂道っ;!?」
頭の奥で巻島さんの声が反響して聴こえてくる、あれ…おかしいな、目が開かないし体も重い気がする。床を駆けてくる足音と振動が身体全体に響いて来たかと思えば、ゆっくりと背中が抱き起こされたのが分かった。
「騒がしいな、どうした裕介」
「あぁ、遅かったショ…チョコレート食っちまった後だったぜ;」
「紅茶は?」
「注いだ分が無いから一杯は飲んじまってるなァ…;」
「ぁー…とにかく水飲ませて横にしといてやれ」
巻島さんとお兄さんの会話が聞こえる。けれど、まだ瞼は重くて開きそうにない。確かにボクはチョコレート食べたけど…それから急に気持ちよくなっちゃって、それで…。ぼんやりする頭で記憶を辿っていっても、どうも覚えがあるはさっきチョコレートを食べたところまででそこからがとても曖昧になっている。すると、今度は力の入らない身体に突然浮遊感が生まれ、と、同時に顳かみが少しだけ痛みを走らせた。
「ベッド連れてくから兄貴は水持ってきてくれないか?」
「オレがか?」
「さっきサングラス取ってきたショッ、いいから早く頼むっ!!」
大きな声に反応して、重かった瞼を少しだけ開く事ができたボクが見たものは、焦っている巻島さんの横顔だった。そっか、今ボクは巻島さんにだき抱き抱えられていて、何かやってしまったのかもしれない。でも、何が原因なのかどうにも思い出せずに分からないままだ。
「ごめん…なさい、まき、しまさん…」
「お前が悪いわけじゃ無いショ…今は大人しくしてるショ、坂道」
本当に一体、ボクはどうしちゃったんだ…なんだか無性に涙が出てきそうになる。どこからか湧き出てくる不安定な心持ちを胸に抱えたまま、今はどうする事も出来ずに巻島さんに身を預ける他に無かった。その中でも唯一、頭上から降る巻島さんの声が優しく聴こえたのが救いで、『大丈夫』と呟いてくれる声がずっと耳の中で繰り返しボクを励まし続けていたのだった。
【…巻島編に続く…】
=============================
遅刻しましたがバレンタイン巻坂です。ハロウィンも書き上がっていないのにイベントすっ飛ばしてしまいました(^_^;)そろそろ長いのが書きたいな~と日々考えていると気が付けば2月14日。このラブラブイベントを(死語)見逃すわけにゃいかんだろうと別CP含めて三本同時に書いてたんですが、一本を長く満足に書いてみたいと思い直して今回は巻坂オンリーのみに。別CP(金荒・田新)はタイトルは決まっているので気長にお待ちいただければと。
さて本編の内容ですが、今年も巻島さんにはバレンタイン近辺で日本に帰国してもらいました。前回(2014/02/14)のお相手は東堂さんでしたので今年は坂道君へ電話をかけてもらい、サプライズで坂道くんに突撃訪問してもらおう。そして巻島兄のレンさんにもご登場頂いてしまおうという盛りだくさん(詰めすぎの間違い)ぷりです。巻島兄と坂道君の会話書いてて楽しかったですね~すごく。本編でもっとお兄さん出てくればいいのに、そうすればもっと話が盛り込めるのに。…話が脱線しましたが、このお話では巻→坂仕様になっております。坂道君が巻島さん大好きという話も好きですが、巻島さんあまり表に感情を出さない方なので心模様書くのがとても楽しい。静かにも確実に進む坂道君への想いがL仔的なツボです。
食べてしまったチョコレートの正体は皆様なんとなく予想がついていると思いますが次回に巻島さんから説明をしてもらおうと思っています。相性は保証します、実際に試して美味しかった。
次回巻島編はできれば二月中にUPしたいと思いますが最悪ホワイトデーまでもつれ込む可能性もありますが頑張りますので!!(p`・ω・´q)
2015 02 0224 L仔
【Magical kiss】
(小野田 坂道 編)
「忘れ物は無い、かな…?」
壁に貼られたラブ☆ひめの主人公である姫野小鳥の特大ポスターを見つめながら、ボクは今朝から何度目かになる確認を行っていた。今日の日を数えて早二週間、昨夜はドキドキしてなかなか寝付けなかったのに今朝はとてもスッキリと起きられたんだ。昨日の夜、寝る前に準備したスポーツバックは傍らで今か今かと連れ出されるのを待っているみたいで、早く出かけようと言葉無く催促しているみたいにじっと床に座り込んでいる。そうだね、そろそろ出かけないと間に合わなかったら元も子もなくなってしまう、ベッド横の時計を見ると時間はもうすぐ11時になろうとしていた。
「よしっ!!」
息と声を一緒に吐き出してショルダーバックの肩紐をしっかりと掴んで肩にかけ、自室のドアノブをひねり開けた。踊りだしそうな思いの足取りでそのまま直ぐに急な階段を軽快に駆け下り、まっすぐ玄関へと向かうと、小音を聞きつけたらしいスリッパ音が台所から駆けてきた。
「あら坂道、もう出かけるの?随分と早いわね」
「うん、すれ違っちゃったら相手に申し訳ないし、ボクが待っているのは全然平気だから」
玄関で靴ひもを結びながら背後にいる母さんに答えると、多分洗い物中だったのかな?ゴシゴシと布の擦れる音が微かに耳に聴こえる。結び終えた靴ひもと靴の具合を確認して振り返ると、そこにはいつもの柔らかい母さんの笑顔があった。
「お宅にお邪魔するんだから失礼の無いようにね」
「大丈夫だよ母さん、渡したいものがあるだけだから多分遅くはならないよ」
「そう、それじゃ気をつけていってらっしゃい。もし遅くなりそうだったり何かあったら必ず連絡よこす事、忘れないでね」
「うん、わかってる。それじゃ、行ってきます!」
事前に今日のことは母さんに話しておいたから今更詳しく行き先を説明する必要もなく、気をつけてねとの優しい声に笑顔で答えながらボクは玄関を出て庭に向かって歩きだした。歩いていくことも考えたけれど今日はとても気持ちの良い晴天、今朝起きた時にやっぱり自転車で行こうと先に準備しておいたんだ。ヘルメットとグローブを装着してBMCに跨り地面を蹴れば、ゆっくりと視界は一定の高さで動き始める。家の敷地から大通りに出て、教えられた地図を頭に描きながら安全運転を心がけたハンドル操作で見慣れた近所の景色から離れ始めると、期待と一緒にいっそうの緊張が湧き上がってきた、いつもより足が軽く思えるのは気のせいなんかじゃない。そう、今日ボクはサプライズで巻島さんに会いにいくんだ。
「っ…~まだ少し寒いなぁ~…」
巻島さんがお兄さんの住むイギリスへと渡英してからも、ボクは何があってもなくても、なんてことはない日常の出来事を手紙に綴り、いろんな報告をしてきた。と、いっても最初は住所が分からずに出せない手紙の束が重なっていくだけだったところに、手嶋さんが巻島さんの住所を教えてくれたんだ。返事は返ってこなくてもボクの自己満足的なところもあったし送り返されてこないと言うことは、おそらく巻島さんの手元には届いている、それだけで充分だった。それがちょうど一月の終わり頃のこと。次は何を書こうかな…と、ぼんやり内容を思い立てながら家に帰宅すると、母さんがボクに手紙が来ていると一通渡されたんだ。達筆な英字で書かれた手紙を見た時は、頭の上に沢山のクエスチョンマークが浮かびもしたけれど宛名は確かにボク宛だし…と、思い当たる節をつなぎ合わせた結果、もしかして…もしかするのかも!!と、結論に達した瞬間、嬉しさと逸る気持ちに両手が震えて止まらなかった。
【 2月10日から1週間くらい日本に帰る 部活も覗きに行きたいから日程教えてくれ。巻島裕介】
開封して急いで丁寧に目を通すと、3行に纏められた文章を何度も読み直しながら、巻島さん日本に帰ってくるんだ!部活の様子見に来てくれるみたいだし急いで返事書かないと!!嬉しさと焦りに一人部屋で騒がしくしていると、突然と机に置いた携帯電話が大きく着信音を響かせた。慌てて携帯電話を手にしてディスプレイをみれば、そこには番号を教えてもらってから数回しか表示されていない『巻島さん』の文字を見た時といったらどんなに驚いたことか。あまりの出来事に暫く電話を鳴らしっぱなしにしてしまったけれど、出なきゃ当然切れてしまうしそれは嫌だし失礼だ。一度目視しして通話ボタンを確認して押し、恐る恐るもしもしと声をかけると懐かしい声が応答を返してくれた。
『いま忙しかったか?都合悪いなら後でかけ直すショ』
とんでもない!!全然ボクは大丈夫ですっ!スイマセン! と、見えもしないのに全身でオーバーアクションをとりながら大声で答えると暫くの間、巻島さんからの反応はなかなか返ってこなかった。きっと煩かったんだ…不安に思う中でじっとよく受話器向こうの音に耳を立ててみると含んだような、何かを我慢しているような小さな小さな笑い声がほんの微かに耳に拾われ聞こえた。もう一度声をかけてみても大丈夫かな…。様子を伺っていたボクがひと唾飲み込んで最初の文字を音にして発しようかとした時、巻島さんが一度の咳払いをして電話口に戻ってきてくれた。
『少し落ち着くショ坂道、突然電話したオレも悪かったケドな』
幾分か耐性が生まれ始めたボクは、今度は心を落ち着けながら、嬉しくてどうやって電話に出たらいいかわからなくなってしまったと答えると今度は巻島さん独特のクハッという笑い声がハッキリと聴こえ、それにつられるようにボクも口元を緩ませて笑い声を零した。お手紙ありがとうございます、今から返事を書こうと思ってたんですと追答するボクに、実はその事で電話をしたと巻島さんは理由を話し始めたんだ。
『今日手紙届いたんだよな、つか、だいたい今日あたりかと目星付けたんだがやっぱり手紙じゃ間に合わないショ』
話では、日本とイギリスの間での郵送期間は約5日間。今日が二月の始めだからボクが返事を書いて明日投函したとしても巻島さんがイギリスを出発する時にはもしかしたら間に合わない可能性があるのだそう。突然部室に行っても特別構わないのだけれどどのくらいボク達が成長したか見てみたいという考えがあるのが一つ。二つ目は全く初対面の一年生と会って不審者扱いされる可能性を避けたいというものだった。勿論ボクだってすれ違いは嫌だし、巻島さんには会いたい。急いでカバンの中から予定表を取り出して平日はいつも通り部活、土日は自主連であることを伝えると受話器の先で二三度擦れる音の後、OKだという了解の返事が返ってきた。
『サンキュー坂道。…クハッ、にしてもこれじゃ手紙の意味がなくなっちまうショ』
確かにそうですね。と、ボクは笑って答えたけれど初めて巻島さんから届いた手紙を手にしながら耳元で聴こえる懐かしく大好きな声に胸がいっぱいでたまらなかった。手紙は確かに届いていたんだ、こんなに離れていても繋がっている『何か』に胸が高鳴って仕方がないし、考えれば苦しくもあり楽しみにもなる。そんな自分の気持ちと重ね合わせながら想いを馳せずにはいられなかった。
電話があってから日にちはあっという間に過ぎてゆき、今日は巻島さんが帰国したであろう10日から4日過ぎた2月14日、世間はバレンタインデー。部活の様子を見に来ると言っていたけれど、いまだ平日の放課後にそれらしいカッコイイ姿は見かけられていないし、巻島さんにも都合と時間があるんだ。今日は土日で部活も休みだし、日本に帰ってきているのを知っているんだからフライングになってしまうんだけど会いに行ってみよう。偶然にも重なったバレンタインデーを口実に、一年生の時沢山お世話になった気持ちを込めて、安物だけれどチョコレートも用意した。少しだけでも顔が見られればいいな、連絡しないで押しかけるから確率は半分かそれ以下だけどじっとしてはいられない。交差点に差し掛かったタイミングで握ったハンドルの具合を確かめつつ、鼻から一度大きく息を吸い、胸を膨らませた空気をゆっくりと口から吐き出すと高鳴る鼓動が少しだけ落ち着いたように思えた。先程に比べて肌に感じる風も冷たさから心地よさに変わったし、この交差点を過ぎればもう巻島さんの家は目前だ。信号が青に変わり、再び前を向いてペダルを漕ぎ出し、大通りから比較的大きな路地に入ればそこは閑静な住宅街に変わる。その中でも一際大きく立派な豪邸の2階が視界に確認できたので、ボクは自転車を下りて押しながら家の前で歩くことにした。前に一度、一年のIH前にみんなでお邪魔したことはあったけど、近づけば近づくほどやっぱり今見ても門構えから圧倒される大きさだ…。
「……よしっ」
誰にも聞こえない程小さな声で気合を入れ、心の準備は整った。自転車を路肩にしっかりと留めた事を確認してゆっくりと目の前のインターホンに指を当ててしっかりとベルを一度だけ鳴らしてみせた。ここまで来ちゃって誰かいることしか考えてなかったけれど、もしかしたら全員留守の可能性もあったじゃないか。どうしよう…その時は3回鳴らして応答がなければ帰ることにしよう、ここにずっといて巻島さんに迷惑がかかるのは嫌だ。すると数秒後、ボクの心配を打ち砕くかのようなランプの点滅、次にはマイク越しの篭った声が耳に聞こえてきた。
『ハイ、…どちら様?』
「わっ!!へっ…あっ;」
自分でベルを鳴らしたくせに声が返ってきた事に思わずビックリしてへんな言葉を発してしまった。応答に出てくれたその声は若い男性っぽく、マイクを通して聴く限り巻島さんの声に似ているように思える。でも巻島さんならどちら様とは聞かない…と…思うんだけど…でもここで弱気になってどうするんだ小野田坂道!!せっかく此処まで来て、応答に出てくれたんだからしっかり伝えないと意味がないじゃないか。
「あっ、あの、そのボクっ、総北高校自転車競技部で巻島さんにお世話になってます小野田坂道と申しますっ!!ほ、本日は天気も良く…って、違う…あっ、あの巻島さんはいらっしゃいますでございましょうかっ…!!」
『ソウホク…オノダ?…あぁ、キミは高校の後輩なのか』
「ヒャッ…はっ、そう、ですっ!!」
それはもう必死に、どうにか要件を切り出してみせたけど噛み噛みでバラバラで果たして伝わるかは怪しいものだった。緊張で張り裂けそうな胸は痛いくらい大きく跳ねていて、今にも心臓が飛び出すような鼓動を打ち鳴らしっぱなし。すると突然ガチャリとマイクが切れる音がしたかと思うと、目の前の外門がいつか見たように自動でゆっくりと開かれていき、もう一度マイクのスイッチが一方的に入って『中にどうぞ』の一言を残して切れてしまった。慌てて路肩に留めておいた自転車を手に広々とした門を潜り、これまた大きな庭の真ん中を通す道に従い歩くと行き着く先は正面玄関の扉。ハンドルを握る手の震えを抑えるように強く力を入れて、ようやく目の前までやってくると同タイミングで両扉の片側だけがそっと音を立てて開き、中から背の高い人影が姿を見せた…その時のボクの驚きようと言ったら無かったと思う。
ガチャリッ…ギィー…。
「あっ、あれっ、まきしま、さ…ん;?」
扉の先から現れた顔を見た瞬間、ボクの頭上をクエスチョンマークが四方八方に飛び出し、そのままじっと目の前の人物から目が離せなくなってしまった。色白の顔立ちに細い目元、顔のパーツ一つ一つが一見すると巻島さんその人、けれど髪は随分短いし緑じゃない。そしてただ立っているだけなのに雰囲気が巻島さんより大人っぽく思えるという不思議な違和感に襲われたんだ。
「あっ、えっと…巻島さん、では無いのでしょう…か;?」
「キミ面白いこと言うね、オレも一応巻島なんだケド」
「あわわわス、スミマセンっ!!」
クスリと笑みを見せながら答える姿に大慌ててボクは頭を下げて謝ると、今度は笑い声が頭の上から響いて聞こえ、顔を上げるように言葉が続いた。恐る恐る下から姿を拝見しつつ見上げていくと、長い手足に日本人離れした柄物の服がとてもよく似合うモデルのような体型であることも判った。そして再び視線は目の前の顔に戻り、緩く口元で笑みを浮かべながらボクを見るもう一人の正体も、なんとなく分かり始めてきていた。
「裕介なら直に帰って来るから中で待ってれば?」
「あっ、ありがとうございますっ…!!あの、もしかして巻島さんは、巻島さんの…」
「…坂道!?なにしてるショ、こんなトコで!」
隅々まで姿を確認しながら一つたどり着いた考えを口にしようとした時、今度は背中から唐突にボクの名前を呼ぶ声が耳に響き聞こえたので声のする方向に勢いよく振り返ると、そこにはボクの記憶の中にある玉虫色の長い髪に、カッコ良くニットを着こなす巻島さんが早足でこちらに向かって歩いてくる姿があるではないか。あっという間に玄関までやってきた巻島さんは少しだけ切らせた息を調えながらボクの顔を確認した後、もう一人の巻島さんに視線を移した。
「兄貴も何やってるショ…滅多にベルなんか出ないクセに今日に限って…;」
「たまたま1階に居たダケだけど。そしたらベルが鳴ったんでカメラ覗いたら緊張した男の子が立ってるんだぞ、裕介だって普通に何事かと思うだろ。この子だろ、マメに手紙を送っているオノダ君は」
「なっ、なんで兄貴がそんな事知ってるショ!!;」
「名前は本人が教えてくれた、後は内緒」
慌てた声を上げる巻島さんに対し、思った通りやはりお兄さんだったもう一人の巻島さんは、全然余裕といった表情で言うと、徐に右の手の平を巻島さんに差し出した。
「それより取ってきてくれたのか?」
「あぁ、あったショ。レストランに忘れもので届いてたって」
そう答えた巻島さんは差し出された右手に細身の、パッと見でも充分にインパクトのある紫色のサングラスを渡すと
お兄さんは頷いて扉を先程より大きく開きながら一足早く家の中へと足を進めていった。自然と視線で追いかけていくと随分前に一度お邪魔したときの記憶が朧げながら蘇ってきたけれど、それでもこんなに広かっただろうかと呆気にとられてしまうレベルだった。
「それじゃ忘れ物と本人が帰ってきたからオレは失礼するぞ、後はご自由に…またなオノダ君」
「はっ、ハイ、色々ありがとうございました//」
先に消え行く巻島さんのお兄さんの背中にお礼を言うと、何故か隣で大きなため息が溢れるのが聞こえてきた。見上げると、その表情にすっかり疲れを浮かべた巻島さんが腰に手を当て、ボクと同じようにもう姿を消したお兄さんの後を視線で追っているらしかった。あの人が巻島さんのお兄さんだったのか…さっきチラッと見えた紫色のサングラス凄かった…でも巻島さんと同じように優しそうな感じの人だったなぁ…//服装も体型もモデルさんみたいだったし、数年先の巻島さんを見ているようだといえば伝わりやすいかもしれない。
「珍しい…」
「あ、あの…巻島さん?」
「ん?…あぁ悪い、あんまり意外なことが起きたからなんかドっと疲れがな…;」
ボソリと本音を漏らした巻島さんを見上げると、白い顔色に疲れを浮かべた顔でぼーっと玄関より先を見つめていた。
そういえばボクが来てお兄さんと話している時、巻島さんはどこかに出かけていたようだし、日本に帰ってきたからといって休暇というわけではないのかもしれない。自分の会いたいという思い一方で、相手の都合を考えていなかった事に申し訳なさを思いつつも声をかけると、さっきより少しだけ解れた表情になった巻島さんは耳に久しぶりに聞く独特の笑い声を返してくれた。
「クッハ!!…ところでどうしたんだ、休日にわざわざオレん家を訪ねて来たんだか何か理由があるんだろ?」
「あっ、あのハイそうなんです!!実は今日…」
巻島さんの質問に当初の目的を思い出したボクは、ショルダーバッグから例の、用意してきたチョコレートの箱を取り出そうとガサゴソとやり始めた。今日の準備で一番最初に用意したチョコレートは落とさないようにと一番底に大切に仕舞い込んでいたので取り出しに時間がかかってしまい、漸く黒に赤いリボンをかけたの箱の一辺に手が触れたのを確認して顔を上げると、そこには巻島さんの姿は無かった。あれっ…さっきまで目の前に居たのに…と、視線で辺りを追いかけていくと既に玄関に腰を下ろしてブーツを脱いでいる姿を発見した。
「いつまでソコに居るっショ、さっさと入って来いよ」
「ええっ、あの良いんですか?お宅にお邪魔しちゃっても;?」
「悪いとは言わないが遠慮し過ぎショ、玄関先で追い返すなんざしないさ。それにお前なら部屋に上げても無闇にあちこち触ったり汚したりしないだろ」
片方を脱ぎ終わり、もう片方のブーツを半分脱ぎ終えた巻島さんが、表情を柔らかくさせながら話す言葉に招かれるように一度触れた箱から手を放し、恐る恐る敷居を跨いた。先を歩く背中に続いて自分の家の二倍はありそうな廊下を歩き、余裕で二人は並んで通れそうな階段を登り上がると、吹き抜けの白を基調とした広い2階が姿を現した。
「オレの部屋は分かるな?」
「はい、前にお邪魔した部屋のことですよね?」
「そうだ、先に行っててくれるか、なんか適当に飲み物頼んでくるショ」
「わわわっ、そんなお構いなー…くぅー……」
呼び止める声より先に巻島さんは再び階段へと姿を消し、ポツリと二階の入口に一人取り残されたボクは玄関での呆気は優しいものだったんだと思った。以前はみんなで来たからそうは感じなかったけれど、この広さに内装は日本に一人でいるとその広さに押しつぶされそうな感じで心細く落ち着かない。この場で巻島さんを待っていようかとも考えたけれど先に部屋へと言われているし…と、悩むここと少し、覚えのあるドアに向かって足を進めることにした。廊下を歩き、英筆記体のルームプレートの下がる部屋のドアノブを押し開くと、以前の記憶にある部屋が姿を現したんだ。シンプルで必要最小限で纏められた室内は白と青を基調としたクールなデザインでいかにも巻島さんらしい。ロードを掛けるスタンドやタイヤのあったであろう跡、でも残念ながら自転車は無い。イギリスに持っていったと巻島さんは言っていたけれどそれでもあの白いフレームが見えないと心なしか少しだけ寂しく見えるな…。
「何してるショ」
「ひゃっ!!」
すると突然に現れた背後からの声にビックリしてボクはたまらず奇声を上げてしまった。ゆっくりと首だけを動かして後ろを見ると、こちらもビックリしたような表情を固まらせた巻島さんがすぐ後ろに立っているのが見えたんだ。
「はっ、早かったんですね、巻島さん…//;」
「キッチンにお手伝いさんがいたから任せてきたショ。それよりどうしたんだ、なんか部屋にいたのか?」
「いえっ、その…なんだか先に入るのが申し訳なくって…」
「部屋の主がいいって言ってんだ、遠慮するコトないだろ。ほら、さっさと入れ入れ」
急かされるままに踏み止まっていた足を動かして漸くの一歩を踏み込み、ボクは随分時間がかかって漸く部屋へと入ることになった。言うまでも無くもう充分に緊張はしているボクだけれど、部屋にお邪魔するとそれは今までの比では無いものになっていた。くわえてガチャリとドアの閉まる音が追い打ちをかけて背中が緊張で張りっぱなしだ。ダメだ、めちゃくちゃ緊張してきちゃったよ…頭の中での最初の予定では、巻島さんに手渡しでチョコを渡して帰って来るだけだったのに、どうして部屋にまでお邪魔することになってしまったんだろう。勿論すごく嬉しいよ!!けど心臓がいつまで持ってくれるか分からないでもいるのは事実だ。
「坂道」
「ひゃいっ!!」
「…っ、どうしたよそんなにガッチガチに緊張して…クッハ、別にとって食われるワケじゃないしに。」
またびっくりしてしまった。今度は体ごと振り返ると、椅子を片手に引き寄せながら苦笑いでボクを見る巻島さんが見えた。クッションが無くて悪いという巻島さんに首を大きく横に振って、床に腰を下ろすと、もっと楽にしていいと付け加えられたので足を崩すことにした。中身きっと大丈夫だよね…。持ってきたチョコレートの状態を心配しつつ、しっかりと傍らにバッグを引き置きながら向かいの巻島さんへ視線をあげると緩い姿勢でボクを見ていたけど、その口がゆっくりと動き始めた。
「ぁー…びっくりしたっショ?」
「えっ、ハイ……色々びっくりしましたけど、どれでしょう//;?」
「兄貴に」
「えぇ…あぁー…お兄さん、…はい、とっても!」
実際に巻島さんの家に来てからは矢継ぎ早に起こった出来事にボクは順番をつける事が出来ないでいた。それを察知してくれたらしい巻島さんは椅子を逆に跨いだ格好で表情を崩しながら、どうしてお兄さんがいるかの経緯を話して聞かせてくれた。
「お前から手紙貰った時点で帰る日程は決まってたショ、当初オレだけ帰る予定だったんだが急に兄貴も日本に用事があるって事で同行することになってな。別に悪いことじゃないし、家族だし拒否る理由も無かったし…が、昨日になってからか…ホテルに忘れ物したって言い出してソレを取りにオレは今日出かけてたんだ。」
「あ、さっき渡していたサングラス…ですか?」
「そうソレ、帰ってきてからもコッチ(日本)の仕事関係者と打ち合わせに食事会とかに出ててたのにオレも付き合ってたショ。空いた時間作って高校に顔出しにも行きたかったんだが全くスキが無いくらい予定詰められちまってな、気がついたら日曜だったってワケさ。でもまさか、出かけてる間に坂道が家に来てるとは全然想像してなかったショ」
話し終えた巻島さんは、キィーっと一度椅子を鳴らしながら態勢を更に深くして背を丸めてみせ、浅く溜息をついてみせた。思い出しても疲れるスケジュールだったらしく、緩ませた頬を掻きながら話す顔を見つめながらも、良かった…すれ違っちゃってたワケじゃ無かったんだ、とボクは安堵していた。
「そうだったんですか…でも、こうして無事にお会いできましたし、お兄さんにも会えたのでなんだか少し得した気分です!」
「あぁ、兄貴が仕事以外で進んで人と話すのなんてレア中のレアっショ。なんでか知らないが坂道がオレに手紙送ってる事も知ってたし、ヘンにカンが鋭いとこあるんだよなぁ…」
緊張であんまり覚えていないけれど、そういえば巻島さんのお兄さんは意外にもあっさり玄関を開けてくれたように思う。会話も普通だったし、巻島さんが話すほど人見知りにもボクには見えないんだけどなぁ…。先程の事をぼんやり思い出しながら、巻島さんそっくりのお兄さんの顔を思い浮かべていると、また目の前の椅子が音を立てて動きをみせた。
「それでさっきの続きだが、坂道がわざわざ家までくるなんてどうしたショ?」
「あっ、はい!巻島さんに会いたかったのもあったんですが、今日は渡したいものがありまして…」
チャンス再び到来、巻島さんから話を振ってもらえたんだ、渡すタイミングは正に今しかない。傍らで出番を待ち望んでいたカバンを膝に乗せ、中のチョコレートの箱に右の手の平が触れたのを確認し、スッと取り出そうとした。しかし、またしてもあと一歩のところでソレは阻止されてしまった。
コンコンコンッ…
「はい」
部屋の扉を叩くノック音を聞いた巻島さんは席を立ち上がり、ゆっくりとドアへと向かい扉を開くと、手に何かを持って戻ってきた。再びドアの閉まる音の中で、がっくりとしながらカバンから手を引き、何故か正座に戻ってしまったボクの目の前に置かれたのはとっても綺麗なティーカップとティーポット、それに同じ模様の施された小皿。上には綺麗な色のセロファンに包まれた一口大のお菓子が無造作に乗っているのがみえた。ポットを手にとった巻島さんは手馴れた手つきでゆっくりとカップへ中身を注ぐと、透き通った茶色…どちらかといえばオレンジに近い水色の液体が流れ落ちる、と同時に辺りにふわっととても清々しい草原のような香りが湧き出してくるようだった。
「イイ香りですね~…なんだかほんわかする気持ちです//」
「向こう(イギリス)で気に入って飲んでる紅茶ショ、土産に買ってきたのを淹れてくれたのはイイんだが…カップが一つしか無いな。」
巻島さんの言うとおり、トレンチの上にはどうみてもティーセットは一つしかないことはボクの目にも確認できた。相変わらず良い香りと一緒にうっすらと立ち上る白い湯気が揺らめく中で、巻島さんはポットをトレンチの上に置くと自分も椅子から立ち上がってドアの方へと歩き始めた。
「ちょっとキッチン行ってくるショ、先に飲んでて構わないからな」
「そんなっ、ボクが行きますよ巻島さん!」
「クッハハ…お前は今日、客なんだぞ坂道。だいたいオレん家のキッチンに何があるかなんて分かんないショ。それに紅茶には飲むベストな温度があるんだぞ、いい香りって分かったんだから味も美味いの飲んでけよ。ちょうど良く茶菓子もあるし食ってていいから…なに、すぐ戻るショ…//」
笑みを見せながら部屋の外へと出て行く巻島さんの背中を見送って、ボクはまた部屋に一人となってしまった。ボクと同じように一つだけ用意されたティーカップは装飾もとても綺麗だけど、どこか寂しそうで湯気が誘うように立ち上っている。巻島さんの言葉に間違いはないし、せっかくだし先にいただこう。そっとティーカップを手に取り、いかにも高そうだと眺めながら恐る恐る一口をつけると先程よりいっそう、若草の香りと柔らかい口当たりで飲みやすい。普段紅茶なんて飲まないボクでも、これは純粋に美味しいと分かるものだった。
「紅茶ってこんな味がするんだ…//」
巻島さんて普段からこんな美味しいもの飲んでるんだ…今はイギリスに住んでいて、ファッションの勉強をする大学生で、オシャレでカッコイイ。簡単に挙げるだけでも想像を超えるカッコ良さではないだろうか、その全てにドキドキを感じずにはいられない。私生活とかあんまり想像できなかったけれど、今こうしてお家にお邪魔してお茶を頂いているとなんだか不思議な気分でもあるし、同じことをしているという嬉しさもある。一人気分の良くなったボクはティーポット横に置き飾られた茶菓子の中から、グリーンの包み紙を一つ手に取って中身を開いてみた。英語で商品名の書かれた包み紙はキャンディー型に捻られていて、両サイドを引っ張り丁重に包み紙を開いていくと中からあらわれたのは、まん丸球体のチョコレートだった。
「…そういえば、まだボク、チョコ渡せてないんだよね…」
プレゼントは心が込めてあれば大丈夫とは思っていても、こうして偶然にも立派なチョコレートを見てしまうと自信はどうしたってなくなっていってしまう。カバンの中に押し込められてずっと出番を待っているチョコレートがなんだか可哀想になってきた。巻島さん、受け取ってくれるかな…。複雑な思いの中で、摘んだ指先の熱でチョコが緩み始めてきたらしくベタつく感覚を消すため、一口でそのチョコレートを頬張った。そのチョコもとても美味しくて、じんわりと口内で溶け出す味は甘過ぎず、滑らかにゆっくりと形を崩していく。まるで時間の流れさえもゆっくりに感じそう…でも、この味なんだろう…すごく心地いい気分だ…//さっき飲んで美味しかった紅茶と一緒なら、もっと気持ちよくなれそうな気がする…と、本能の赴くままにボクはティーカップにに残っていた紅茶を全て飲み干したんだ。
…………………………………
ガチャリッ…。
「悪い坂道、その紅茶と菓子はどうやら兄貴の……坂道っ;!?」
頭の奥で巻島さんの声が反響して聴こえてくる、あれ…おかしいな、目が開かないし体も重い気がする。床を駆けてくる足音と振動が身体全体に響いて来たかと思えば、ゆっくりと背中が抱き起こされたのが分かった。
「騒がしいな、どうした裕介」
「あぁ、遅かったショ…チョコレート食っちまった後だったぜ;」
「紅茶は?」
「注いだ分が無いから一杯は飲んじまってるなァ…;」
「ぁー…とにかく水飲ませて横にしといてやれ」
巻島さんとお兄さんの会話が聞こえる。けれど、まだ瞼は重くて開きそうにない。確かにボクはチョコレート食べたけど…それから急に気持ちよくなっちゃって、それで…。ぼんやりする頭で記憶を辿っていっても、どうも覚えがあるはさっきチョコレートを食べたところまででそこからがとても曖昧になっている。すると、今度は力の入らない身体に突然浮遊感が生まれ、と、同時に顳かみが少しだけ痛みを走らせた。
「ベッド連れてくから兄貴は水持ってきてくれないか?」
「オレがか?」
「さっきサングラス取ってきたショッ、いいから早く頼むっ!!」
大きな声に反応して、重かった瞼を少しだけ開く事ができたボクが見たものは、焦っている巻島さんの横顔だった。そっか、今ボクは巻島さんにだき抱き抱えられていて、何かやってしまったのかもしれない。でも、何が原因なのかどうにも思い出せずに分からないままだ。
「ごめん…なさい、まき、しまさん…」
「お前が悪いわけじゃ無いショ…今は大人しくしてるショ、坂道」
本当に一体、ボクはどうしちゃったんだ…なんだか無性に涙が出てきそうになる。どこからか湧き出てくる不安定な心持ちを胸に抱えたまま、今はどうする事も出来ずに巻島さんに身を預ける他に無かった。その中でも唯一、頭上から降る巻島さんの声が優しく聴こえたのが救いで、『大丈夫』と呟いてくれる声がずっと耳の中で繰り返しボクを励まし続けていたのだった。
【…巻島編に続く…】
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遅刻しましたがバレンタイン巻坂です。ハロウィンも書き上がっていないのにイベントすっ飛ばしてしまいました(^_^;)そろそろ長いのが書きたいな~と日々考えていると気が付けば2月14日。このラブラブイベントを(死語)見逃すわけにゃいかんだろうと別CP含めて三本同時に書いてたんですが、一本を長く満足に書いてみたいと思い直して今回は巻坂オンリーのみに。別CP(金荒・田新)はタイトルは決まっているので気長にお待ちいただければと。
さて本編の内容ですが、今年も巻島さんにはバレンタイン近辺で日本に帰国してもらいました。前回(2014/02/14)のお相手は東堂さんでしたので今年は坂道君へ電話をかけてもらい、サプライズで坂道くんに突撃訪問してもらおう。そして巻島兄のレンさんにもご登場頂いてしまおうという盛りだくさん
食べてしまったチョコレートの正体は皆様なんとなく予想がついていると思いますが次回に巻島さんから説明をしてもらおうと思っています。相性は保証します、実際に試して美味しかった。
次回巻島編はできれば二月中にUPしたいと思いますが最悪ホワイトデーまでもつれ込む可能性もありますが頑張りますので!!(p`・ω・´q)
2015 02 0224 L仔
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