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5月12日 巻坂長編その2UP。
坂道からの手紙達は、自分の部屋のいつも目に入る場所に置いておいた。遠く離れた日本から長い道のりを経てやってくるそれに何度と無く返事を書こうとは思ったか知れないが、白紙の便箋に真向かうと頭ん中が真っ白になっちまってちっとも言葉が纏まりやしない。それでも変わらずにオレからの返事が来ない手紙は届き続けた。一通、また一通とソイツが積み重なるごとに抑えていた想いが募っていくようで、まるで不思議な魔法にかけられた気分だ。やっぱり手紙は苦手ショ。
【Magical kiss】
(巻島 裕介 編)
「…っせ、っと…」
予想だにしない事態により、今、オレのベッドではフラッフラに酔ってしまった坂道が眠っている。ひとつ足りないカップに何故を思いながら台所に行ってみりゃ、実はあれは兄貴のもとへ届けられるティーセットだったということが判明し、急いで部屋に戻ったが時既に遅し。床に倒れ込んでいるといっていい横になった坂道の姿を見たときには最初こそ驚きもしたが、幸いすぐ横に原因となるものが転がっていたおかげで早々に対処することが出来た。紅茶はオレ達と同じもの、ダージリンのセカンドフラッシュ。こいつは兄貴もオレもとても気に入っている茶葉で仕事場にはいつも常備してある品、これは特別問題はない。マズったのはチョコレートのほうだ。実家には毎日何らかしらの荷物が届く。オヤジの会社関係から私的な荷物まで様々だが季節柄2月ともなれば一気にチョコレートの数が増えるのが恒例となっていた。とてもじゃないが家族で食べきれる量では無いし、かといって捨てるのは失礼に当たる。必然的に来客があれば品は間違いないものなので茶菓子に出すことも珍しくない。しかし今回は中身がいけなかったんだ。
「ミスっちまった…もっとちゃんと確認しときゃ良かったショ」
坂道をベッドに寝かしつけた後に床に落ちていた包み紙を拾い上げてみると、金文字で書かれた4つの頭文字にやっぱりだと大きく溜息を吐いた。軽率だった…こいつは純度の高いブランデー入りのチョコレートじゃないか。坂道がオレを訪ねてきてくれた事に浮かれていたばかりに招いちまったんだ。赤みの差した頬に一定でない呼吸、そして甘い香りとほのかなアルコール臭…慣れない感覚に本人はさぞ戸惑っていることだろう。
「っ……んぅ~……;」
坂道の眠るベッドの縁に背を寄りかからせていると、背後から小さな唸り声が耳に聞こえてきた。顔だけて振り向くと、不安定な感覚に彷徨っているのであろう小さな身体が微々と身じろいでみせたので、眠る両頬の片方に右手をそっと当ててみればぼんやりと赤くじんわりとした熱を指先に感じる。もう少し水飲ませてやればいいんだろうが起こすのは可哀想だ。
「せっかく会いに来てくれたってのにオレ何やってんだ…。」
寝顔に思う可愛さに自分の不甲斐なさが絡まり合い、何とも言えない心持ちにたまらずオレは顔を伏せ込んだ。正直に言ってしまえば坂道に会う事をオレは少なからず楽しみにしていたんだ。当然ショ、実に半年ぶりの再会なんだぞ。坂道からの最初の手紙が届いたときの事はハッキリと覚えてる。つか、驚きの方がデカかったんだ。オレが日本を離れる際、もしも何かの時に住所を教えたのは顧問のピエールだけだった。それがまさか坂道から手紙が来るなんて想像もしてなかったショ。とにもかくにも開封して中身に目を通してみると、本人を写し表したような柔らかい文字で綴られる内容は坂道らしい挨拶に始まり、オレの近況を心配するものやレースの結果や練習の内容なども詳細に書かれていた。クハッ…やっぱりお前は面白いショ、坂道。インハイを越えて尚、オレの中にあるイメージはどうしたって辿たどしく控えめでどこか自信なさげなものだった。しかし、不器用ながら一歩一歩確実に登る姿は力強く、そこには確かに光るものが見えるんだ。知らないところでも成長する事にガラじゃないが先輩としての安心感に突っ張ていた頭が解れて胸を撫で下ろしたんだ。
「クハッ、情けねぇ…」
いや、それだけじゃ無いショ。こんなにもはっきりとした高揚感に鮮やかに蘇るあの夏の日の出来事。最後に二人でクライムした峰が山も、山頂での会話でも本人目の前にしてまで隠し通してみせたのに、送られてきたたった一通の手紙で自分の思う以上に心が騒いでたまらなくなっちまってるショ。頭に描けばいとも簡単に思い出せるあどけないメガネをかけた笑顔と声は懐かしく、すぐ傍でオレの名前を呼ぶんじゃないだろうかって錯覚さえ生まれる。それはイギリスに来てからよくよく知ったなんて自分勝手にも程度ってモンがあるぜ。
『裕介、お前に手紙来てるよ』
それからも定期的に坂道からの手紙は届き続け、読む度に衝動は強くなり続けていったが、一度決めた留学を放り出すこともできないショ。自分自身もそうだが何より兄貴に迷惑がかかっちまう。手紙と現実をを見比べながらどうにも身動きできないもどかしさに現状での足踏みを繰り返していた…そんな時だったか、兄貴の一言が光を指し示してくれたのは。
『あぁそうだ、今日は一日晴れらしいぞ…久しぶりに走ってきたらどうだ』
実に意外な一言だった。日本を離れる時に自分の愛車は勿論持ってきていた、実際イギリスでも自転車は一人で動くのにはかなり有効な交通手段でもある。なにせ日本と違い列車が時間通りくれば奇跡とさえ言われてしまうようなダイヤ事情なのだ。(いや、これはイギリスに限った事ではないが…。)そんな事情を差し引いても何より一番は傍にあると安心するというか落ち着くショ。部屋の片隅で乗らずとも手入れを欠かすことはなかったし、そういや随分と走ってはいなかったなとも思い直した。普段、兄貴は仕事場で必要以上に話す人ではないのに、その日は妙に含んだ表情と出かけて来いの一言。コレクションの準備で忙しい時期でアトリエにもオレ達以外のスタッフが出入りを繰り返している真っ最中だぞ。それでも行ってこいというのならば、その言葉に甘えて息抜きをさせてもらおう。自分の部屋に飛んで行き、久々のサイクルジャージに袖を通すとバイクを担いでアトリエを後にした。風に身を任せ、ロンドンの雑踏街路を抜け気の向くままにペダルを漕いで進み、やがて辺はだだっ広く開けた郊外の空港公園までやってきていた。小高い丘に自転車を留めて見渡すパノラマの景色は壮観で、吹き抜ける風は汗を掻いた肌に清々しく爽やか、この感じ懐かしいショ…まるで坂道と登った峰が山とよく似ているじゃないか。見晴らしいの良い風景に髪を揺らす風のなすままに暫く遠くを眺めていたが、やはり思い浮かぶのはあの小さな背中と後ろをついて笑顔で登る後輩の姿が想いの大半を占めた。やっぱり自転車は正直で自由だ、オレをどこまでも開放的にしてくれる。こいつに乗って、走って出た答えは紛れもない本心でしかないんだ、勿論良い意味でだ。
まずは手紙…書いてみるかな。これだけ固まっているんだ、便箋に向かってもサッと書けるに違いない。小さくも大きな変化を胸に思い疼かせながら帰路に着き、早々に部屋へ引き込むと随分前に買ったシンプルな便箋を取り出してペンを取ったんだ。
「そういや今は何時だ…」
しかし結局、その手紙が出されるのは数ヵ月後、年を明けてからの話になってしまった。書く気持ちばかりが先走り、書き始めると本当にこれでいいのかという悩みに襲われ年が明けた一月。ちょうど予定が重なり、日本に一度帰国するという3行に纏められた完結的な内容を書き上げるダケにしてはえらく時間がかかってしまった。そんな懐かしくも恥ずかしい思い出を振り返っていると、いつの間にか室内は暗くなり始めていた。そんなに時間が経っていたのかと時計に視線を向けれは時刻は午後6時になろうとしていた。なんか時間の感覚が可笑しいショ、坂道が家に来たのが昼辺だったと思うがバタついちまってロクに話もしてない気がする。坂道の事だ、親御さんには伝えて出かけて来ただろうが連絡はしとくべきだ、少々気は引けるが携帯電話を拝借させてもらうショ。物音を立てないように立ち上がり、机の上に寄せて置いておいた坂道の荷物を手に取り上げると思いのほかに軽く、一部沈んだ布の影に目星をつけて手を入れると容易に携帯電話の輪郭に触る事が出来た。ところがカバンの中で何かに引っかかっているらしく、なかなか取り出せず手間取っていると、漸く掴んだ携帯と一緒に音を立てて何かが床に落ちてみせた。そちらへ視線を落とすと、薄暗い中に浮かぶ黒いラッピングに赤いリボンの掛けられた小さな箱がオレの方を向いていた。拾い上げてみると軽くてカサカサと音もする。…これはどう見てもプレゼントっショ、しかも感じからいって菓子。あぁ、今日はバレンタインデーか。行きがけに誰かから貰ったのか、そうだとしたら落としたのはマズかったな。様子を確かめる為にひっくり返してみると、また何かが床にヒラヒラと落ちていくのが見えた。寸前キャッチに成功してみればそれはどうやら二つ折りにされたメッセージカードで片面表にはオレの名前が書かれていたんだ。と言うことはコレはオレ宛か…中を見れば分かるかも知れないと思い、メッセージカードを開いてみることにした。
………………………………………
「…っ……~…ぇっ…ぁっ、れ?」
漸く室内にオレ以外の人の声が生まれたのは時刻は午後八時を回った頃だった。ゴソゴソとベッドで大振りな音の後に寝ていた坂道が飛び起きたスプリング音。椅子に座り、雑誌を読んでいた視線をベッドに向けると、寝癖の見える髪型に焦った表情の坂道が瞬きをして部屋の中を見渡しているようだった。
「目が覚めたか、坂道」
「…ま、巻島さん!?」
声をかけると小さな顔がこちらを向いたのを見て、オレは席を立ちベッドへと歩み寄った。いまだ頭はハッキリと目覚めてはいないらしく不安そうな顔を両手で覆い、ブツブツと口に出しながら記憶を辿っているようだった。斜めにベッドへ腰を下ろしてそっと坂道の頭に右手を置いてやると、一瞬ビクリと背中を跳ねさせ両手を退けてみせると大きな両の瞳と視線が合わさったんだ。
「なんでびっくりしてるショ…お前、オレん家に来てるの忘れちまってるのか?」
「い、いえっ…その、巻島さんのお宅にお邪魔して、お兄さんに会っては覚えています。でもなんでボク、いつの間に巻島さんのベッドで寝ているんですか…っ;」
どうやら食べたブランデー入りチョコレートのせいで記憶が吹っ飛んでしまっているらしい。冒険にも酒を飲むようなタイプでもないし、一気に入れた強いアルコールを考えればない話でもないか。懸命に思い出そうとする坂道の頭を優しく撫でて手を離し、大丈夫だと言いながら事の一部始終を話して聞かせた。聞き漏らすまいとしていた真剣な顔は話が進むにつれてコロコロと顔色を変えて、最終的にはよほど恥ずかしかったのか表情を固めたまま顔は真っ赤になり布団を巻き込んで膝を抱え顔を伏せてしまった。
「これはお前のせいじゃ無いショ、偶然が重なった事故…つか、悪いのはオレの方だし」
「…で、でも…結果的には巻島さんにご迷惑をっ……っ……//;」
「クハッ、そんな事思っても無ぇし特別何もしてないショ…//」
軽く笑いながらオレが言うと赤くなった耳を布団に擦りつけるように首を左右に振り、顔を上げようとはしなかった。坂道の気持ち分からなくも無いが、そこまで気にする必要も無いんだがな…。さて、こうなってしまったら次どうやって顔を上げさせようかと思っていると、突然ボフンと布団を叩いて坂道が顔を上げてみせた。
「あっ、ああああっ!!!」
「ど、どうしたショ…っ;」
「いま何時ですかっ;!!」
何か不味いことでも思い出したのか、急に鬼気迫る表情に変わった坂道が顔を詰め寄らせ聞いてきたので身を横に避けて時計を見せてやると、今度は目に見えてわかるほど顔色から血の気が引いていったのがわかった。オレも首だけで視線を向けると、壁に掛けられたアナログ時計は午後8時20分になろうとしている。
「ど、どうしよう…家に連絡しないとっ…絶対母さん心配してる…っ;!!」
「あ、それなら心配すること無いショ」
「えっ…」
焦りにギクシャクした動きをみせる坂道に、携帯電話を借りて夕方頃には自宅に連絡しておいたと伝えるとテンションの高い女性の声でよろしくお願いしますと身の預りを頼まれたと説明を付け加えると、少しは安心したのか顔色が幾分か戻ってみせた。実際、オレが事態に気が付き連絡した時点で今晩は一泊させようと考えていたが親御さんから晴れて許可も下りて正直ホッとしている。坂道は家に来るのにBMCで来ているし酔いが冷めても帰り道で何か無いとも言い切れない、それに不慮の事故とは言え、酔った後輩を自転車で帰すなんてマネは出来ないショ。
「つーワケで安心していいショ」
「…ぁ、ハイ…本当に色々すみません……っ、今朝まではこんなハズじゃなかったんですケド…;」
「予定はあくまで予定って事だ、先のことなんて分かるわけないし気にすることでも無いショ」
オレは身を戻しながらベッドの脇に置いておいた坂道のバックに手を伸ばして掴み、布団に隠れる坂道の膝上へと乗せ渡した。
「あ、ボクのカバン」
「悪いとは思ったんだが携帯借りるのに開けちまったんだ」
「いえ全然!…そうだ、あの!巻島さんに渡したいものがありまして…っ!」
そう言ってカバンを引き寄せ中を漁り始めると、ラッピングされた箱を取り出して確認し始めた。すると、またカバンの中に手を入れ、目的のものが見当たらないのか今度はカバンを何ぞ着込むように探し始めたが見つからないらしく、物と布を擦る音だけが続いた。
「あれおかしいな…確かに挟んできたのに…」
「…あー…それってコレか?」
探し物をする横顔にポケットから二つに折れたカードを差し出すと、どうしてそれが?と言いたげな坂道の顔がこちらを向いてみせた。
「み、…見ちゃいました…?」
「………あぁ、オレ宛って書いてあるし拾った時にな」
「そう、ですか…」
やっぱり出さない方が良かったのではとも考えたんだが多分出さなきゃずっと坂道は探し続ける気がした。せめて見てないとでも言えば良かったんだろうが正直な問いかけに思わず正直に答えちまったショ。しかし意外にも坂道の表情は明るく、掛けていた布団をめくり正座に座り直して手にしていた箱をオレへと差し出してみせた。
「良かった、落としたわけじゃないので安心しました!…コレ、お口に合うかわかりませんが受け取ってください…//!!」
少し震える手から箱を受け取り、包を破かないように開封すると中身はやはりチョコレートだった。一口サイズのものが六個、ミルクからビターまであるアソートタイプで見た目も綺麗でセンスも良かった。ずっと会いたかった想い人、意中の人からのチョコレート。無邪気な照れ笑いで話す坂道に、中身を知っていたにも関わらず胸がじわりと熱くなっていくのがわかる。
「中身が壊れてなくて良かったです…//巻島さんはカッコイイからイギリスでも沢山チョコレート貰ってると思ってたんですけど、ボクからも贈り物がしたくって…でもいくら2月だからって男のボクからチョコレートは流石にヘン、でしたね//;」
「いや、全然そんなコト無いショ。食っていいか?」
「ハイ、勿論です//」
坂道に見守られる中で指先で一つをつまみ上げて口に運ぶと、それはあっという間に口内の熱で溶け始めた。これはガナッシュか…ザラつきもなく滑らかに溶けるチョコレートは見た目通りに美味かった。
「美味いショ、坂道も食うか?」
「いえっ、ボクはちょっと…//;」
オレの誘いに苦笑いで遠慮する坂道に、上げたものを食べるっていう遠慮よりはどうやらさっきの事件をまだ引きずってるって感じに思えた。記憶が無いぶん何かしてしまったんじゃと考えるのは最もな話だ。オレだってブランデー入りのチョコよりもこっちの方が好きだし、せっかく美味いのに苦い思いだけじゃあんまりだろう。もう一つ、今度はベリーの練りこまれたチョコを摘み半分だけ齧ってみせた。
「半分、これならオレも食ったし安心ショ」
「ふぇ、えぇっ…//!?」
「スキあり」
驚きの声を上げた坂道の口はちょうどチョコレートが一つ入るくらいの大きさに開いてくれたので、逃すまいと素早く左手で新しいチョコレートを摘んで坂道の口の中へ落としてやった。自然と動く口に大きくなった両の瞳に満足に小さく笑んで指先で溶けかかった残り半分のチョコを自分の口へと放り込んで、はたと気がついた。なんとなくの無意識でやってしまったが、これは結構恥ずかしい事をしたんじゃないだろか。チョコレートには体温を上げる効果があると聴いたことがあるが、事実に気がついた今まさに心臓から全身に送られる血液が急速に全身へ熱を運んで指先から頬まで突っ張る感じで動かすものままならない状態だ。反らせない視線はまっすぐ坂道を見ているのに行き場を失ったまま、時間にすればほんの僅かな間、しかし感じるのはそれ以上だ。
「美味しい、ですね…チョコ」
「あ、あぁ…言った通りショ?」
「ハイ、当たりを選んできたんですね、ボク…//」
「クハッ…坂道がくれるもんだったらオレにとってはなんだって当たりショ」
「そそんな滅相も無いデス!!」
良いのか悪いのか、坂道は意味を分かっていないようで慌てて否定して見せている。違うショ、坂道。これはオレの本音なんだ。次に会ったらお前に言わなきゃならない事があるってイギリス出てくる時に覚悟は決めたショ。溜息を隠した深呼吸ひとつの後、先程のメッセージカードを改めて差し出して話し始めた。
「これ坂道が書いてくれたんだろ」
「はい、英語苦手なんですけどちょっとカッコイイかなって…//」
送られてくる手紙と同じく、柔らかく優しい雰囲気の字体を見てこれが買った時の付属品でもチョコレートを売り込むキャッチコピーでも無いことは明白だった。
「【 You have been the only one for me! 】 私にとって、あなたはずっと特別な人なんです…って意味になる。お前は単純にオレへの感謝を込めてチョコレートくれたんだとは分かってるショ。…でも、オレの場合受け取り方がどうしても変わっちまうんだ」
「受け取り方、ですか?」
そう言って、布団に突いていた坂道の右手を取って自分の胸へと押し当ててオレは目を閉じた。小さくも自転車のハンドルで硬くなった手の平が服の上から感じられる、再び上がり始めた心拍数は坂道に伝わるだろうか。
「久しぶりショ、こんなに胸がドキドキすんのは…。夏のインハイを終えてオレは兄貴の住むイギリスへと留学したショ。子供の頃から海外旅行も多かったし英語も話せたから言葉の壁も感じやしなかったが、いざ生活するとなるとやはり住み慣れた日本が恋しいっていうのか…イギリスで生活を始めてから変に気持ちが寂しさを覚え始めたんだ。」
思わず力が入ってしまいそうになる手を加減しながらそっと閉じていた目を開けると、緊張と動揺の中でもひたすら真剣に聞き漏らすまいとする坂道にまた一つ胸が高鳴った。
「初めて手紙が送られてきた時、そして日々手紙が届く度にオレがお前にどれだけ会いたかったか分からないショ。イギリスでの日本を感じるお前からの手紙、それはいつだって特別なものだった。随分遅くなっちまったがやっと言える、このメッセージと同じ気持ちだ坂道。…お前はオレにとって、ずっと特別な人ショ」
抱えていたものが漸く言葉になり、本人を目の前にして形になったことで苦しかったものが開放されたように思えた。さぞや坂道は驚いているショ、男に突然好きとか言われて驚かないハズなんてない。脱力に似た感覚に肩の力が抜け始め、坂道を掴んでいた右手の力も弱まり始めた。すると、今度はその腕が逆に引き寄せられたかと思うと坂道の両手でしっかりと握られた腕はそのまま坂道の胸へと押し当てられたんだ。
「分かりますか…ボクも、こんなにドキドキしています…っ。会えるって知った巻島さんからの電話の後、巻島さんと走ってた時もお話をする時とも違う感覚がずっと、ずっと不思議で考えてました…苦しくて、でも嬉しくて泣きそうになる、そしてとってもあったかいものです…//」
グッと強く押し当てられた手の平には細く薄いが確かにある筋肉、そしてその下に隠れる大きな胸の鼓動。早いし緊張してるショ…掴まれた手からも緊張からか熱めの体温が刻む脈の一つ一つをダイレクトに伝えてくれた。
「今、こんなに近くで巻島さんに触れることが出来て、やっと自分の気持ちに自信が持てました。どういうふうに言っていいのか今までは分からなかったし…そして男の人にこの感情は持っていいのかなって不安も…でも答えは、やっぱり巻島さんが教えてくれました…!!」
両手の力がまた一つ強くなってみせた事に視線を胸から顔へと上げると、決意をみせた坂道の瞳が赤い頬を連れてゆっくりと柔らかく口元を動かし言葉を続けた。
「日本とイギリスって距離があってもボクは巻島さんの傍にずっといたいです…大好きです!巻島さん…//!!」
坂道の言葉に胸を染めていった熱は弾けて全身に回り、溢れ流れ出る寸前だった想いに一滴を投じた。オレを見つめる瞳が一瞬潤んだように見えたのは相手ではなく、どうやら自分の瞳の方だったらしい。
「わっ…ま、巻島さん…どうしたんですかっ…」
「つまり、…その、…なんだ…//;」
カッコ悪いショ、告白して泣いてるとか。相手も好きだって心から言ってくれてんのになんで涙が止まらないのか分からない。空いた方の手で涙を雑に拭っていると、握られた感覚がゆっくりと消えたかと思うと目の前で軽く紙の擦れる音が耳に聞こえてきた。薄らぎ霞んだ視界に映ったのはチョコレートを差し出す小さな指先、もちろん相手は坂道だ。
「ど、どうぞ…泣いた分だけ糖分補給しないと‥//」
「クハッ、そりゃ塩分補給じゃないのか…//;」
答えながら差し出された指先に口を付け、唇に触れるチョコレートを溶かし飲み込んだ味はしょっぱく思えた。初恋が甘酸っぱいって話は人ぞれぞれらしいショ。そうだ、さっきの続きと思いついたオレは手招いて坂道を身近に寄せ、なんだろうという表情を見せる顔に覆いかぶさり、そのまま唇を合わせた。
「今度こそ半分こだ、ちっとしょっぱいケドな…」
「いえ…充分、あ、甘い…です…//」
照れた顔と甘い余韻に浸りながら、我ながら思うキザな振る舞いも今ばかりは許されるだろう。
想う君と初めて交わしたのはこの季節に相応しく、引き寄せ酔わせて溶け混じったまるで魔法のような口溶け。
さて、最高のホワイトデーのお返しを考えるべく嬉しくも頭を悩ませることにするショ。
【END】
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すっかりとUPするの忘れておりました申し訳ございませんorz ゴメンナサイ!! pixivに掲載完了して一安心していたら自分のサイトの存在すっかりと抜け落ちてました(;´Д`)もう5月だよ(世の中絶賛GW中)はい、という戯言は置いておいてバレンタインデー巻坂完結でございます。今回もチョコレートに負けないほど甘く、あまぁ~~くなっておりますが二人を無事にくっつけてあげれたので私的には満足かな?と思っております。前回予告した通りに文中の中でチョコレートの説明を書かせていただきました。坂道くんが食べたのはブランデー入のチョコレートボンボンで紅茶との相性は抜群ですがお酒に弱い方だと頭が痛くなることがあるそうです。ブランデーだからね、仕方ないね.+:。(´ω`*)゜.+:。 そして坂道くんが巻島さんに上げたのはバラエティーアソート詰め合わせでした。高級一種で攻めるより色んなタイプのチョコを楽しんで欲しいと坂道くんなら思うのではとこちらにしました。
今まで当たり前にあった日常の風景から坂道くんがいなくなってしまったイギリスの生活の中でも、その姿を感じ匂わせる坂道くんからの手紙が定期的に巻島さんの元に届く。本編で坂道くんがスランプに陥ったときに部室に巻島さんがいるような気がして…というシーンの逆バージョンを目指して書きましたが、どうでしょう。坂道くんに限らず、無くなってしまってから気づく価値や感覚って誰しもにありますよね。イギリスの空港公園で自転車と一緒に巻島さんが手紙を読んでいるシーンを見たときはどんなに嬉しかったか、そして考えれば考えるほど尊い、巻坂尊い…(悟)どういって言葉で伝えれば良いのか分からないほど嬉しくて仕方なかったのはよく覚えています。もう少し坂道くんの気持ちを書いても良かったかなとも思いましたが、両片想いの巻島さんの気持ちが書きたかったのでそれは次回ということで…!!
そして巻坂長編連載第二弾やります。pixivには既にUPしてきましたが今回は現実世界で2人で一本のゲームをプレイしてもらいます。結構キャラクター出したいんだよなぁ~と予告しておきますが、あくまでも視点とプレイヤーは巻島さんと坂道くんの2人です。つまり小説の中で物語をやってみようという二重企画、よろしければまたお付き合い下さい。それでは長々と失礼いたしました。(o・・o)/
2015 0504 L仔
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