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5月12日 巻坂長編その2UP。
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「なんだこの中身は…ベプシばかりではないか;」

天使を足蹴にする人間がいるなどやはり地上は恐ろしい場所だ、お気に入りのスーツに痕が残らず本当に良かった。
記憶と共に蘇った背中の鈍痛を撫でながら開いた冷蔵庫の前でオレは呆気にとられた溜息をついていた。
今まで一度も開けたことは無かったが、今晩使った材料の残り以外ものの見事にベプシしか入っていない。
食生活は大丈夫なのかと呆れつつも片手にしていた未開封のベプシをサイドポケットに差し込み、扉を閉めた。
冷蔵庫のファンが回転する音が耳に聞こえる中で灯りの消えて薄暗くなった室内へ視線を回すと
カーテンの閉じたベランダ窓、電源の落ちたテレビと何も乗っていないテーブルが薄闇にぼんやりとカタチを映している。
先日までヤキモキ、ピリピリしていた周りの空気は無く、今夜が如何に満ち足りたものに変化しでいることを告げていた。
視線を更に上げロフトへ続く梯子へと向ければ、それはいっそう強く感じられる。
恐らく今夜はもうアラキタ ヤストモは起きてこないだろう、漸く恋人と過ごす時間が持てたのだから邪魔するのは野暮というもの。
オレはそっと身を浮かせ音を立てないようにそのままベランダへと足を向け、カーテン越しにガラス窓に触れてベランダへと通り抜けた。
都会の曇り空は間も無く明日に変わろうとしている夜の色に霞みを纏い、遠くに映る街並みの雑居ビルの光も朧で淡く浮かんで見え、
春に芽吹く草木が夜露を含んで香り立たせている近所とは反対に都心は忙しく眠りを知らないらしい。


「下界は忙しいなぁ、とりわけ日本人は少しは休むという事を覚えたほうが良いとは思わんか?」

「…サァーなァ、働くの好きなんじゃん?」


狭いベランダに立ち、両手を手摺に付きながら遠くに映る街並みを眺めてオレが言うと
斜め上の背後から、さもどうでも良いと言わんばかりの気怠く鼻掠った声が返ってきた。
上半身を捻り見上げると平たい屋根の上に屈みこんでぼぉーっと空を見上げている同僚の姿、
その表情はオレから見ればなんと情けない、それでも悪魔だと言えるのか?と溜息を付いてしまいそうになる。
隣まで移動すればいっそう露となり、いつもの不機嫌そうな表情に拍車をかけているようにも思える。


「まぁ、忙しいオレ達になぞ言われたくはないだろう」

「んー…」


見事な生返事だ、手本と言ってもよい。
何処を見ているのか知れない視線の先を追いかけてもやはり何を見ているかは分からない。
やれやれ、己のしたことを反省するタマではないと思っていが恐らくヤツ自身どうしたのかと自問自答している最中なのだろう。
普段やらかさないヤツほど一旦事件を起こすと規模のデカいこと…とっくに上司には事態を知られてしまっている状況は極めて微妙なのだ。
それが分っていてこの態度、もう世間話で気を紛らわせてやる必要も無いだろう。

「オイ」

「…ンだよ」

「オレはお節介だが優しくは無いぞ」

「はぁ?」


宣言はしたぞ、許可など必要でない。
一向に此方を見ようとしない顔にグイと詰め寄り、右手人差し指を相手の額に押し付けた。


「いいかよく聞け、オレ達の仕事は期限が全てだ、何故なら仕事内容云々より重要視される対象者の今後が関わっているからだ。
もし破れば厳罰処分では済まない、それは機関二番手のお前ならば良く知っている事だろう?
決められた期間内に自分の任務を遂行することこそが全て…例外は認められない。」

「っだよイキナリ…つか指さすのヤメロっ;」

「いいや止めない、どうせお前のことだから連絡がきても必要以上に携帯は見ていないのだろう。
コレを見ろ、つい今し方オレの上司から来たメールだ、一部にしか知られてはいないがお前のしたことがちょっとした騒ぎになっておるのだぞ!」


指差しをやめないまま突きつけた携帯電話の画面に相手の視線が文面を攫うように動く。
内容はオレ個人に送られたもので、見ていたのなら現状を報告せよとのモノだった。
先程起こった事件、コイツが自分の契約者オノダ サカミチに危害を加えようとした疑惑、確かにオレはごく間近で見ていたが
久しく見ていない悪魔が欲する恍惚の表情に天使のオレでさえ背筋が凍る思いだったが止めようにも無理だったのだ。
何故ならオレは天使、コイツは悪魔、互いの仕事には一切手出しが出来ない仕様になっている。


「お前の上司二名、オレの上司、あと死神部門が一名で現在会議中だと秘書からメールが追送されてきた。
仕事真面目なお前らしくも無い軽率な行動、一体どうしたというのだ?」


それは今朝、今日来るというアラキタ ヤストモの恋人を一目見てやろうと軽い気持ちでくっついて行ったらどうだ。
オノダ サカミチの隣を歩いているコイツの姿に驚いたのなんの…と、同時にいつもと違う悪魔らしからぬ雰囲気に
これは少しマズイか、と厄介な事に発展しそうな気配もあの時確かにオレは感じ取っていた。
犠牲なくして幸福は得られない、幸せを目の前にすると裏側に隠れている不幸の存在には中々にして気が付けない。
しかし人間だろうが例え悪魔だろうが人を想う感情に大差は無い、オレに気がつかれないとでも思ったのか、甘いな、天使の力をナメるものではないぞ。


「お前個々の感情はわからんでも無い、しかし厳しい事を言うが相手想うならば仕事に徹しろ、本来のお前のようにな。
そうでなければアラキタ ヤストモだけでなくオノダ サカミチまでも不幸に巻き込むぞ」


「っだぁぁあああああ―――っ!!」


オレが言い終えるか否かの瞬間、目の前のヤツは牙を剥き出しに叫び上がった。
たまらず背後に一歩下がって相手を見据えると、まるで狼の遠吠えのように空を見上げ
一通り声を出し切った後、その場に立ち上がり右足で地団駄を踏み鳴らしてみせた。


「ウッセぇーんだよテメェは、わかってんだよンな事はヨ!!
他の連中は放っておいたとしたって自分の上司に迷惑かかってんのも知ってんだ、
だけどな、一番予想外なのはオレ自身だっつーんだよクソが…っ…ーぁー意味分かんネェっ…!!」


今までこんなに感情を露にしたコイツを見たことがない、いいやそれまでの仕事が本当にただ作業としての仕事だったということなのだ。
オノダ サカミチ、お前はコイツに何をしたのだ…あの人間は悪魔さえも惑わしたというのか、契約違反を犯しても良いと思わせる程に。
しかしそれは破滅の道にほかならない、ついついオレも熱くなってしまったが同僚で同期、何より友人であるコイツが居なくなるのはオレも嫌だ。


「スマン、言いすぎたようだ…」

「ウッセッ謝んなっ」


バツの悪そうな表情で頭をガシガシ掻きながら吐き捨てると
漸く静かになった空間に着信を知らせる電子音、それは相手の上着ポケットからだった。


「お前の電話、鳴っているぞ」

オレの問い掛けに無言で溜息を付き、上着ポケットを荒々しく探り取り出すと薄暗い空間に光るディスプレイが目立った。
恐らく渦中の電話に違いないと容易に察せたが何故か一瞬、眉間にシワを寄せて出るのを躊躇っているようにオレには見て取れた。
しかし出ないわけにはいかないと通話ボタンを押し、ゆっくりと普段より数倍不機嫌そうな声で相手は応答に出た。


「電話かける相手間違えてんゼ、オメェーの部下なら隣に…はァ?オレに用事ってどーいうコト…」


成程、どうやら電話先の相手が自分の上司ではなく天使、つまりオレの上司からの電話だったらしい。
会議の結果どういう対処に出ることになったのかと予想しながら自分の携帯電話を取り出そうとした時、
隣で心の底から仰天し、困惑する声が再び地上の夜に吠え響いたのだった。


【…続…】
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