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5月12日 巻坂長編その2UP。

シャァァ……――……

「大丈夫かァー小野田チャーン…」

『ハイ、平気です…//』

安っぽい壁とバスルームを仕切る一枚のモザイクガラス。
今、このガラスの向こうでは小野田チャンが風呂中だ、シャワーを流す水流音も絶えずに聞こえる。
声を掛ければ短いが返ってくる返事に安心しつつ、足も伸ばせない数十センチの
廊下とも呼べない通路から俺は様子を伺っていた。

(とりあえず大丈夫そうだが…にしたって、何があったンだ…)

俺が風呂に入っているほんの僅かな時間の間に
どういうわけか小野田チャンの顔色が真っ青になっちまってて
ソファーに横になってるの見た時はちっと焦った。
何かあったのかって聞いてみても本人は大丈夫だとしか言わねぇーし…
一応念の為にこうして風呂場前で待機中っつーワケだ。

『あの、荒北さん…!』

「んぁ?」

薄闇に浮かぶ無機質を眺めてどんくらい経ったか…
ふと個室に篭る小野田チャンの声が水音よりはっきりと俺の耳に届いた。
ゴチャゴチャと考えに重くなった頭を紛らわせんのに見上げていた台所の換気扇、
そいつに視線を向けたまま軽くも返事を一言返してみせた。


『僕、本当に大丈夫ですから、、、部屋に戻ってて下さい…//』

「俺ァ平気だぜ、小野田チャンが風呂の中でブッ倒れる方が困ンだけど」

『もう直ぐ上がりますから、心配してもらっちゃって申し訳ないです…//;』

実に小野田チャンらしいバカ丁寧な言葉。
後輩に使われる敬語とは一線置かれてる違和感、どっか隠しきれない遠慮が分かんだよなァ。
でも俺が此処で待ってても逆にもっと気を遣わせるだけだと腰を上げることにした。
半分渇いた髪を掻きながら素足で廊下を鳴らしつつ途中の冷蔵庫でペプシを拾い、
部屋のドアを開けると、そこには一人の男の姿があった。

「げっ…マジかよ」


一目見た姿に出た言葉と口元の引き攣る感覚。
いつ戻ってきやがったんだ…と、俺は部屋に入るのを思わず躊躇っちまった。
そんな俺にも構わずにさっきまで小野田チャンが倒れてたソファーに堂々と座って
ペラペラと手元で雑誌をめくっていやがる。

「どうだい調子は、守備良く計画は進んでいるのかい?アラキタ ヤストモ」

視線も合わさずに俺へ言葉を投げてよこした目の前のソイツは
この簡素なアパートの一室にはどう考えても場違いな上下真っ白なスーツで、
胸元に覗くシンプルなクロスのネックレス…どこのホストだ。
しかも何で姿形に声から話し方まで知ってる奴にそっくりで…
最初に見たときは何かの冗談かおふざけかと思ったくらいだ。

「答えなくても結構だよ、顔を見れば一目瞭然だ」

何を偉そうに…冗談は顔だけにしとけってんだバァーカ、大体その雑誌ぜってー読んでネェだろ。
文面に視線を動かす振りに何処からともなく溢れ出す自信アリの表情、
スーツと同色の白いカチューシャが照明を弾いて滑らかに輝いてる。
自分の部屋だってのに突っ立ってんのもオカシイだろうと後ろ手でドアを締め、
ベプシのキャップを捻り開けながら空いたソファーのスペースに腰を下ろして
渇いた喉にパチパチと小さく鳴る破裂音を一気に喉に流し込んだ。

「なんだ、俺には無いのか?」

「んぁ?何アマい事言ってんだ、飲みたきゃ自分で取ってこい」


ポンとペットボトルの口を鳴らして答えると不満げな視線が此方に向いているのに気が付き
一枚だけ摘んだ雑誌のページをピラピラ揺らす表情が呆れたように口を開いてみせた


「お前…分け与えるという優しさの心は無いのか;?
大体いつもそうなのだ、この前だって和食が食いたいと言うのに却下、却下の連続だったではないか」

「お前メシ食わなくても生きていけるって自分で言ってたじゃネェの、ベプシも飲まねぇーだろ。
それにあん時の晩飯は定食屋で和食食ったから文句言われる筋合いは無ぇ」

「でも肉じゃがでは無かったぞ!!」

「っざけんな俺のメシ半分以上食いやがっただろっ!!」


あんときは確か新開とメシ食いに言った時…
近況やら大学の様子やらぼちぼち話してて気が付けば運ばれてきた料理が半分になってやがったんだ。
もう食ったのかと笑う新開に上手く誤魔化した苦笑いで隣を見れば
何事も無く当然のように箸を伸ばす隣人をブン殴りそうになったのは良く覚えている。

「そうカッカするものでは無いぞ、こっちは仕事終わりまで下界に拘束状態なのだよ。
楽しみの一つでも見つけねばとてもやってはいられん、少しは協力して欲しいものだな」

「ンな事、俺の知ったことじゃねぇーって…;」

「何を言う!!天使が一緒に住んでいるのだぞ!?
お前は今、世界で何番目かの最高に幸運な人間であることをもう少し自覚すべきだ!!」


どっからどこまでも高校時代の同級生、東堂尽八にそっくりなコイツが俺の今の奇妙な同居人、
しかも自分を天使だと言うくらい頭はおめでたい構造になっている。
俄には信じ硬いが、どうやら本人とは全くの別物、これは俺も自分で確認したから間違いはねぇーケド
やっぱ冗談だろうって考えは抜けないままだ。
偉そうな話し方と態度も当初よか随分と慣れたおかげで苛立ちも半分で済んでいるだけでも感謝して欲しいもんだぜ、俺としては。


「ウッゼッッ!!自分を天使だとか言うヤツの話マトモに受けられるほど俺の頭はめでたく無ンだよ」

「ウザくはないなっ!!」

「うるっせっっ!!!大体今朝から周りフラッフラしてたかと思えばパッと消えて、
かと思えばあっさり戻ってきて飲んでるベプシよこせとかドンだけだよ」

「なに、仕事をしてきたまでだ、いくら天使とてパッと消えてイギリスまで行ってフラっと日本まで戻ってくれば渇かない喉も渇くさ。
それもこれも今朝からソワソワと落ち着かなかった何処かの誰かを心配して特急で帰ってきたというのに…
慈悲深きオレの優しさが分からんのかねぇ~…アラキタ ヤストモ」


天使だという東堂は半歩空いたスペースに詰め寄って俺の手からベプシを奪おうと腕を伸ばすが
誰が渡すかよ、と、それを軽く躱しながら詰め寄られた半歩を離れていい加減にしろと相手を睨みつけた。


「何処の誰とか伏せてねぇーし…そのまま仕事してりゃ良いんだ。
つか、その呼び方ヤメロ、このデコッパチ」

「オイ…意味は分からんがその呼び方は実に不快に感じるぞ、馬鹿にされていると言っていい」

不満げな表情に対すにはちょうど良いのはニヒル顔なんじゃねぇーの。
まるで電化製品みてぇーに名前呼ばれんのも嫌だけどよ、
そっちも名前が無い方がいけねぇんじゃん、となりゃ勝手につけるしか無い。
俺的にはピッタリの名前だと思うぜ。

「そりゃ良かったジャン、意思が伝わって何よりだヨォ、デコッパチ」

「せめてもっとカッコ良くは呼べんのか、アラキタ ヤストモ」

「お互い様だろ」


不穏に睨み合って刹那、実質一人しかいない空間だっつーのになんて賑やかなんだ。
漸く諦めたのか伸ばした腕を引っ込めて腕組みに変え、デコッパチ…もとい
天使だという東堂は大きく息を吐いて深くソファーに座り直した。


「まぁ、しかし…すっ飛ばして帰ってきた割には進展の『し』の字も見えんようだがどうなっているのだ?
漸くのチャンスが来たというのにいつまで燻っているとはオトコが廃るぞ、アラキタ ヤストモ」


急に真面目な顔つきになった自称天使の東堂は大きな瞳を鋭い視線に変えて
真面目と取れる言葉に何を期待していたのかが見え隠れしてンぞ、
その如何にも嘘臭く微笑んで頬杖をついてる顔は完全に俺で遊んでる雰囲気がプンプンしてやがる。


「ソレも未だ出番ナシとは…可哀想で見てはおられんな//;」


視線の片隅に映った細い指、それは寝間着変わりのジャージのポケットを指さしてみせた。
そこには確かに薄い膨らみが一つ、空いた手を当てれば布越しに紙の擦れる音。
プレゼントなんて洒落たモンじゃ無ぇーけど、今日一番の目的といってもいい程大事なモンだ。


「ウッセッ!!テメェーには関係無ぇだろ、つか話がデカいつーの。
大体他人の心配してるよか自分の仕事に身ィ入れてやったらどうなんだよ…」

「なに心配には及ばんさ、こちらは極めて順調、順調とね…//
それに悪魔ならいざ知らず、天使の本分は恋人同士を結ばせる事、そこには優先順位など有りはしないのさ。
付け加えるならば仕事しろと言ったのはお前ではないか、お前にオレを止める権利は無いぞ」

目の前に正論を突きつけられると言いたいことも言えなくなる腑抜け感が情けないぜ。
凄んでみせたが勢いが足りなかったのか相手の平然とした表情に俺は顔をあさってに反らした。
その態度にムカっ腹を立てつつも言っている事は間違っちゃいない…
ぶつけるわけにもいかない自分勝手な思いを溜息と共に飲み込んだ。

(シャクだが言う通りだ…渡すタイミング完全に逃してんなァ…どーっすかなァークソッ…//;)

バツ悪く手を這わせたポケットには、以前に玄関の下駄箱の引き出しに閉まった封筒が入っていた。
昼過ぎに小野田チャンを迎えに出る時、ジャージのポケットに突っ込んだままそれっきり…
さっさと渡して済ませちまうつもりがタイミング逃し逃しでズルズルしたのが不味かった。
時間が経つにつれて今まであった自信にも影が落ち始めて、変わりに弱音の一つも見え隠れし始めやがって
出番の無いままどうにも持て余しちまってた。


「一つ」

「あ?」

らしくない悩みが更に不機嫌な空気を持ちそうな中、文字通り天辺から声が聞こえてきた。
反らした顔を戻すよりも早く目の前には突き出されたのは一本の指、その先には隣に座っていたハズの
東堂の顔した天使の姿、しかし先程と明らかに雰囲気が違っているのが感じられた。

「神が人に与えた素晴らしい贈り物に『言葉』がある。
最も手軽で深層部にまで触れる事の出来るコミュニケーション…そして万能だ。
オレ達のようにテレパシーや読心術がある訳でなし…だからこそ人間には必要なのだ。
態度に悩む前に先ずは言葉にしてみると良かろう、アラキタ ヤストモ」

随分とカンタンに言ってくれんじゃねぇーの…んなコト自分が一番良く分かってんだよ。
あんま話すの得意じゃねぇーし、それで小野田チャンを不安にさせてるのもあんだろう。
付き合ってンのに一歩先に進めねぇーでいるのを変えんのに今回の計画を立てたんじゃねぇーか。
相手の言葉が耳っていうより心に繰り返されて暫く、弱気に忘れかけてた信念がまたフツフツと湧き上がってきた

「ケッ…お偉そーにアドバイスどーも…」

「礼には及ばんさ、これも天使の勤めだ」


ポンッ


「後はお前次第…頑張りたまえ、アラキタ ヤストモ」


右肩に乗せられた手は軽く、しかし存在感アリアリな感覚はまるで
馬鹿じゃねぇの、此処まで来て弱気になってんじゃねぇーよ…、そう言っているように思えた。
呼び方は気にくわねぇーケド、随分と気分がマシになったんじゃん。
有難くも馴れ馴れしい態度に触んなと払おうとした時には
既にヤツの姿は影も形も無く、そこには今し方まで居たという感覚的証拠が残っているばかりだった。
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